ニキータ

大型銃をぶっ放す女殺し屋

ニキータ(1990年 リュック・ベッソン監督)

リュック・ベッソン監督とジャン・レノを世界に知らしめたアクション映画。主演のアンヌ・パリローはこのとき30歳で、リュック・ベッソン監督の妻だった。
深夜のパリ。ドラッグストアに麻薬中毒の若者たちが侵入し、警官隊と銃撃戦になった。3人の若者が死亡。生き残った少女ニキータ(アンリ・パリロー)は警官を射殺する。彼女は裁判で最低30年は服役するという条件の無期懲役刑を受けるが、腕に注射を打たれて殺されることに。ところが目を覚ますとまだ生きているではないか。
ニキータは秘密警察のボブ(チェッキー・カリョ)の口から、自分が死んだことにされ、親族によって葬儀も行われたことを知る。つまりこの世に存在しないのだ。ボブの要求は特殊訓練を受けて政府機関の手先として働けというもの。ニキータはボブを殴って抵抗したものの訓練を始め、射撃や格闘技に天性の才能を発揮する。また、アマンド(ジャンヌ・モロー)という老女からレディーになるためのメーク術や礼儀マナーの手ほどきを受けて徐々に精神的な落ち着きを身につける。
数年後の誕生日。ニキータはボブに連れられて外出し、高級レストランでプレゼントをもらう。うれしそうに包みを開くと、そこにあるのは銀色に光る拳銃。ボブから、店内にいる東洋人の男を射殺するよう指令を受ける。立ち上がり、ターゲットに歩み寄って銃弾を浴びせるニキータ。
殺しは簡単に成功した。だが脱出口として指示されたトイレの窓は煉瓦でふさがれている。厨房に逃げ込んだニキータを、東洋人のボディガードどもがマシンガンを乱射して追い詰める。ニキータは全弾を撃ち尽くしたためこれ以上反撃できない。その彼女を敵はついにロケット弾を装填して狙い撃ちする。絶体絶命のピンチ。だがニキータは頭からゴミ箱に飛び込んで難を逃れる。まさに九死に一生で脱出したニキータはその夜、ボブから「これで訓練が終わり、卒業だ」と告げられ、意味深なキスを受ける。
パリにアパルトマンを借りて一人暮らしを始めたニキータはスーパーのレジ係のマルコ(ジャン=ユーグ・アングラード)と同棲生活を開始。女の幸せを手に入れたかのように思えたが、卒業から半年後に突然電話を受け、「ジョゼフィーヌ」と呼びかけられる。ジョセフィーヌはニキータの殺しのコードネームであり、指令を表す言葉だ。最初の任務はホテルのメイドに変装して盗聴器を仕込んだ飲み物を客室に運ぶ仕事。こうしてジョセフィーヌことニキータの暗殺が始まるのだった……。
女と銃は絵になる。昔は美人モデルがシルバーのピストルを手にしたグラビアをよく見かけた。不釣り合いなものが共鳴してかっこ良く映るのだ。
本作のニキータも実にりりしい。ドレスを着た彼女が手にしたデザートイーグルは女性が撃つと反動で肩の骨が外れるともいわれる大型銃。「現代ピストル図鑑」(徳間書店)によると全長273ミリで重量は1998グラム。弾丸の装填数は9プラス1発だ。「強力な大口径のマグナム弾薬を使用する大型ピストル」と紹介されている。日本の警官が携行していたニューナンブM60が670グラムだから、その威力のすごさが分かるだろう。
ベネチアの任務ではアサルトライフルのステアーAUGを使用。オーストリア製のこの銃は全長508ミリだが、ニキータは消音のためのサブレッサーを装着したので銃身が長い。ニキータの痩せぎすな体形にひときわ大きく見え、アンバランスさが迫力を引き上げた。ちなみにサブレッサーを除いた重量は3600グラムで、射程距離は300メートルだ。
不良少女がレストランでレディーになり、女殺し屋に変身。同時に恋する女となるニキータの変遷も面白い。マルコという理想的な恋人に恵まれながらも、政府機関に隷属させられているため、いかなるときも任務に駆けつけなければならない。マルコには病院に勤めているとウソをついているが、人の命を助けるのではなく、実は人を殺すのが仕事という皮肉な設定だ。任務には必ず困難が待ち受け、無線の指令は高圧的な男の声で「早くしろ」「何をもたついているのだ」と急き立てる。ニキータはそのつど機転を利かせて乗り切るのだ。
ベネチアでは浴室でライフルを組み立てて銃を構える。マルコはドア越しに「キミの過去は気にしない」と愛の告白。彼の言葉を聞きながら、ニキータは感激の涙をぬぐい、照準器を見つめて引き金を絞る。女殺し屋と恋する女の狭間で女心は激しく揺れている。しかも殺す標的は女! この場面の緊迫感は見事だ。

ネタバレ注意

ボブがニキータに好意を抱くくだりは不要な気がするが、おそらくベッソン監督はボブの心理に二面性を込めたかったのだろう。ボブはニキータに愛情を抱いている。だが最初の任務が示すように彼女を命懸けの窮地に突き落とした。運が悪かったら、ニキータの体はロケット弾で木っ端みじんに吹っ飛んでいただろう。非情な命令を下したのだ。だからニキータの「サディスト」という言葉が意味を持つことになる。ニキータが甘い恋愛を味わいながらも熾烈な殺しをしているように、ボブもニキータへの愛情と任務の狭間で闘っているということだろう。不良少女を殺人マシンに仕立て上げて稼働させるには関係者も葛藤を抱えなければならないということか。
かくしてニキータ、ボブ、マルコの奇妙な三角関係が成立する。ラストに待ち構えている関係の清算はいかにもフランス映画らしい。ハリウッドの映画人が作ったら、誰かが派手な最期を迎えて物語を締めくくっただろう。筆者は本作の結末を見て、なぜか1972年の仏映画「夕なぎ」を思い出した。ロミー・シュナイダー、イヴ・モンタン、サミー・フレーによる一人の美女をめぐる三角関係の物語だ。
最後の大仕事はソ連の大使が相手だ。だが、ここでもニキータは予期せぬトラブルに見舞われる。ジャン・レノは“掃除屋”として登場。「俺は仕事を変更しない」という硬派で冷酷無比の男はニキータ以上に強烈な個性を発揮した。まるで主人公がジャン・レノにバトンタッチしたような錯覚を覚えてしまう。クエンティン・タランティーノ監督の「パルプ・フィクション」(94年)に登場するハーベイ・カイテルはこの掃除屋のパクリ、というかオマージュだろう。

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