風と共に去りぬ

スカーレットはなぜ棄てられたのか?

風と共に去りぬ(1939年 ビクター・フレミング監督)

ミネソタ州の黒人死亡事件に端を発した人種差別反対デモの影響で配信が一時的に停止となった作品。作中に黒人差別が見受けられるとされた。米国公開から81年。かつては許された表現も、いま冷静に見ると違和感を覚える箇所がある。スパイク・リー監督の「ブラック・クランズマン」(2018年)はこの映画のワンシーンから始まる。
ストーリーは説明の必要もないだろう。ジョージア州のスカーレットお嬢さま(ビビアン・リー)が南北戦争の時代を生きる話。南軍将校のアシュレー(レスリー・ハワード)が従妹のメラニー(オリビア・デ・ハビランド)と結婚するが、実はスカーレットはアシュレーが好きでたまらない。この三角関係に再三にわたるスカーレットの結婚話と南北戦争を絡めて3時間40分43秒の大作に仕上がった。太平洋戦争の前に本作を見た日本人が「こんな映画を作る国と戦争しても勝てない」と慨嘆した話は有名だ。
前半は南北戦争のスペクタクル、後半はスカーレットとレット(クラーク・ゲーブル)の確執が中心だ。メラニーは優しく貞淑な女性。スカーレットは失恋の当てつけで結婚するわ、妹の婚約者を奪うわと思いつきで行動する奔放な女性。2人は実に対照的だ。それでもスカーレットは恋敵のメラニーを見捨てられず、命懸けで守る。出産直後の彼女と赤ん坊を馬車に乗せてアトランタの戦場から脱出。豪雨の中、橋の下に馬車ごと身を隠すなど苦労を重ねて故郷のタラを目指す。負傷兵があふれる野戦病院の大セット、大量のダイナマイトによる町の炎上シーンなどはいまでも見応え十分だ。
ハティ・マクダニエル演じる中年の黒人メイド(マミー)と男の奴隷たちはあくまでも白人の所有物として描かれている。愚図で気の利かない若い黒人メイドを叱るときのスカーレットの言葉は「さっさとしないと売り飛ばすよ」。後半の冒頭には南部に入り込んだ北軍を「侵略軍」とするテロップが流れ、解放された黒人が馬車を進ませながら白人を上から目線で見るような場面も登場する。南軍が敗れて奴隷制度が廃止され、かつての旧社会を懐かしがっているような印象だ。
ちなみにハティ・マクダニエルは本作の好演でアカデミー賞助演女優賞を獲得。黒人初のアカデミー賞受賞者となったが、75年に日本で発行された本作のパンフレットは彼女の紹介記事はおろか、受賞したことにも触れてもいない。
物語の見どころはラストの30分。打算的なスカーレットはレットの押しに負けて結婚するが、ことあるごとに彼とぶつかり、ついには見捨てられてしまう。だが皮肉なことに、ここに至って彼が大切な存在だと気づき「tomorrow is another day」と呟くのだ。
レットが「君は身勝手な女だ」「男を不幸にする」と言うように、スカーレットには毒がある。余裕綽々だったレットですら、結婚するやスカーレット毒が脳に回って激高し、暴力的になった。おそらくスカーレットはアシュレーの前でしか素直になれない女なのだろう。世の中にはA男には理由もなく突っかかっていくが、B男には無条件で従う女性が存在するものだ。スカーレットもしかり。アシュレー以外の男とは仲睦まじくできない。そういう意味で、スカーレットは結婚を破綻させるタイプだ。南北戦争の松田聖子だろうか。しかも、たくましさの裏に依存型パーソナリティーが隠れている。本来はかよわい女なのだ。スカーレットは自分にとってレットが大切な存在だということに長らく気づかなかった。それが分かったとき、レットは遠い存在となっていた。長い物語の本質は男と女のすれ違いのドラマである。
スカーレットは「また明日がくるのだから」と言うが、レットの気持ちを取り戻すのは無理だろう。女性の大半がそうであるように、男も人生選択の間違いに気づいた瞬間に意識が切り替わり、過去の自分を批判しつつ、盲目的に愛した恋人から心が離れることがある。冷水を浴びたような一瞬の大変革。割れた茶碗は元には戻らない。ラストシーンでスカーレットを振り切り、霧の中を歩み去るレットの後ろ姿は「この女と一緒だと身がもたんわい。惚れ込んじまったオラがバカだった~!」と自嘲しているようだ。

蛇足ながら

本作の米国公開は39年12月14日だったが、戦争があったため日本で封切られたのは52年9月だった。600万ドルを投じた一大スペクタクルとの前評判が日本人を刺激。前月の8月に前売り券が発売されるや連日売り場に行列ができ、8月末までに5万4000枚を売り切る大ヒットとなった。
当時の映画入場料は通常170円だったが、「風と共に去りぬ」は300円、500円、さらには600円の特別席まで設けられた。11月26日まで上映した有楽座の入場者は28万5000人。総収入5641万円を記録した。

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