「忍びの者」 信長を殺したが、新たに出現した秀吉というヒトラーが民衆を虐殺

信長を殺したが、新たに出現した秀吉というヒトラーが民衆を虐殺

忍びの者(1962年 山本薩夫監督)

昔の玩具店にはオモチャの刀や黒頭巾が売られていて、子供たちは「えい」「やあっ!」と忍者ごっこに興じたものだ。テレビでは「隠密剣士」「風のフジ丸」「仮面の忍者赤影」「カムイ外伝」などが放映されていた。戦前から続く忍者ブームの中で、映画界での新機軸となったのがこの忍びの者だった。
社会派の山本薩夫がメガホンを取っただけあって、手裏剣や煙幕を使うカッコいいだけの忍者ではなく、名もなき男たちか直面する不条理を描ききった。この硬派のストーリーが当時の大人たちの心の琴線に触れた。忍者が子供の娯楽から大人の映像文学に昇華したといえるだろう。「忍びの者」シリーズは全8作つくられ、山本は第1作の本作と「続・忍びの者」(63年)を手がけた。
舞台は織田信長という希代の虐殺者が暴れ回る戦国時代。伊賀には百地三太夫(伊藤雄之助)と藤林長門守の2つ忍者組織があった。百地の部下の石川五右衛門(市川雷蔵)は百地の妻イネノ(岸田今日子)と密通したことをとがめられ、百地から「おまえを殺す」と脅される。命乞いをした結果、百地から罪は許す、その代わり「信長を殺せ」との厳命を受けるのだ。
一方の藤林の屋敷でも「百地組に後れをとるな」と信長抹殺の命令が下り、木猿(西村晃)という忍者が動き出し、ライバルの五右衛門としのぎを削ることに。そうした中、五右衛門は自分とイネノがねんごろになったのは百地が仕組んだ罠だと気づくのだった……。
捕縛前におのれの顔を切り刻み、拷問を受けても素性を明かさないのが忍者の鉄則。映画はそうした非情の世界を描いていく。百地と藤林は同一人物、つまり1人の人間が2つの組織を巧みに指揮し、それぞれのメンバーを競わせていたというのが物語のミソ。目的遂行のために手段を選ばない世界だ。なんだか高度経済成長期の猛烈社員を思わせる。
考えてみると、現代にも営業部隊などを複数に分けてライバル意識を抱かせて業績を上げようと目論む経営者は存在する。経営コンサルタントによると、中小企業のワンマン経営者が多く、社員の反発を買って裏目に出る可能性もあるそうだ。実際、本作でも五右衛門と木猿が互いの足を引っ張り、結果的に信長の命が救われるという皮肉な展開になっている。
「続・忍びの者」はもっと面白い。五右衛門は百地のくびきから解放され、妻マキ(藤村志保)との間に子供をもうけて平穏に暮らすが、信長の部下に急襲されて幼子を殺される。復讐に燃える五右衛門は紀州の雑賀党に身を寄せ、棟梁・鈴木孫一(石黒 達也)の許しを得て明智光秀の配下に潜入。光秀をそそのかして本能寺の変を起こさせ、混乱に紛れて信長を斬り殺す。
かくして復讐は遂げた。棟梁の孫一以下、雑賀衆は信長の死に狂喜し、酒宴に踊る。だが彼が身を寄せた雑賀党は織田政権の後継者である豊臣秀吉の猛攻撃を受けて全滅。五右衛門は聚楽第に忍び込んで秀吉の命を狙うのだった。
要するに信長を殺したら秀吉という新しいヒトラーが現れてホロコーストを行ったということ。貧しい者が幸せに暮らそうとしても権力者の支配欲という荒波に飲み込まれてしまう。それは戦国の忍者に限らず農民たちも同じ。田畑を荒らされ、略奪され、女性は強姦された。山本監督はこうした不条理を最下層の忍者の生き死によって表現した。
考えてみると、悪い奴が消えてさらに悪くなるという運命は人間に常に付きまとっている。ガチガチの身分社会だった江戸時代が終わり、「一君万民」の新しい時代に代わってホッとしたかと思ったら、国は富国強兵に燃えて日清、日露の戦役に明け暮れ、ついには太平洋戦争に突入、ハチャメチャな結果になった。変革が必ずしも国民を幸せにするものではないという証明だ。
ご存知のよう豊臣秀吉は農民の出身。信長との奇跡的な出会いがきっかけで天下人となりえた。農民出身にもかかわらず、民衆への弾圧を続けた。晩年は甥・秀次の正室や側室らを皆殺しにし、千利休を切腹させた。
思い出すのが田中角栄だ。1972年に首相になったとき、「小学校卒で貧乏な家庭の出身だから、庶民を救ってくれる」と期待する声もあった。ところが彼が立案した日本列島改造計画で土地は高騰。田中は土地転がしで私腹を肥やし、そのあげくロッキード事件で逮捕された。そもそも田中は若いころから土地で稼ぎまくり、自民党総裁選では潤沢な資金をばらまいた。72年の年末に見た報道番組では「1票を2000万円で買った」とのナレーションがあった。この20年ばかり、田中角栄ブームが続き、彼の平和主義が評価されているが、70年代の国民は彼に怒っていた。
その田中はかつて「権力は何でもできる」と語ったという。戦国時代も現代も権力者の危険性は同じ。だからこそ立憲主義が重要なのだ。

ネタバレ注意

「続・忍びの者」で五右衛門は秀吉を殺害するために京の二条城に忍び込む。だが暗殺は失敗。鴬張りの仕掛けによって捕縛され、ついには釜茹での刑に処される。ラストは沸騰する釜に向かって歩いていく五右衛門の姿だ。市川雷蔵の悲壮な表情が、渡辺宙明のテーマ曲とともに見る者の胸に迫ってくる。
俗説では五右衛門が釜茹でになったとき、彼の幼い男児も道ずれにされたという。五右衛門は初めのうちはわが子を助けるために抱きかかえて宙に浮かせていたが、ついに我慢できず、なんと子供を釜の底に沈めて熱さから逃れたという。そのことから「五右衛門のような剛の者でも自分かわいさのあまり我が子を裏切った」と言われる。
筆者が子供のころ田舎の親戚の家に行くと五右衛門風呂があり、釜の底に丸い板が敷かれていた。この板がないと高温のため足をやけどしてしまう。五右衛門風呂に入るたびにわが子を底に敷いた五右衛門の話を思い出してゾッとしたものだ。五右衛門がわが子を抱え上げている絵は後世に何枚も描かれ、ネットにもアップされている。

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