「すべてが変わった日」  可愛い孫をならず者一家から取り返そうとする祖母の愛

可愛い孫をならず者一家から取り返そうとする祖母の愛

すべてが変わった日 (2020年 トーマス・ベズーチャ監督)

筆者は本作を「あ、ケビン・コスナーの映画だな」くらいの感覚で見始めた。そのため共演女優が誰かをチェックしておらず、見終わってからそれがダイアン・レインだと気づいた。筆者の世代にとってダイアン・レインは「リトル・ロマンス」(79年)で幼くしてスターになり、長じてはお色気フェロモンを発散した女優。「腰のクビレがイマイチなのが残念だなぁ」との感想もあるが、気になる存在だ。その彼女も57歳。当然ながらこうした初老の女を演じているのだが、いまだにピンとこない。若々しいダイアン・レインが記憶の大部分を占めているからだ。
それはともかく「すべてが変わった日」である。原題は「Let Him Go」。これを日本の映画人は「すべてが変わった日」と命名した。見終わって、変わった日がいつなのかよく分からなかった。長男が死んだ日なのか、未亡人になった嫁が再婚した日なのか、それとも決着がついたラストのことなのか……。
1963年、元保安官のジョージ・ブラックリッジ(ケビン・コスナー)と妻のマーガレット(ダイアン・レイン)は、不慮の落馬事故により息子のジェームズを失ってしまう。3年後、未亡人として幼い息子のジミーを育てていた義理の娘のローナ(ケイリー・カーター)が再婚するが、結婚相手のドニー・ウィボーイ(ウィル・ブリテン)は暴力的な男だった。マーガレットは彼が幼いジミーにつらく当たり、ローナに手を上げる場面を目撃して胸騒ぎを覚える。
そんな折、ジミーのためにケーキを作ってローナを訪ねたが、夫婦はジミーを連れて、ドニーの実家があるノースダコタ州の実家に転居していた。マーガレットは孫のジミーを心配し、彼を連れ戻すことを決意。ジョージとともにポンコツのクルマに乗って旅に出る。
ノースダコタ州のドニーの家にたどり着き、ジミーとの再会は果たすが、ドニーの母親ブランチ(レスリー・マンヴィル)はとんでもないあばずれの悪女で、ドニー以外の息子たちもがさつで粗暴な連中ばかり。その日はジミーを連れ帰ることを諦め、翌日ローナを勤務先の店に訪ねて、ジミーと一緒に自分たちの家に帰ろうと提案する。
その夜、マーガレットらはローナとジミーを待っていたが、やってきたのはブランチとその息子たち。ブランチはマーガレットを恫喝し、頬を殴りつける。さらなる暴力を予感してジョージは拳銃を手に取るのだった……。
可愛い息子に死なれただけでもショックなのに、義理の娘が再婚したため孫と引き離された。しかもローナは挨拶もなしに夫の実家に行ってしまったのだから、マーガレットが不自然さと不安を覚えるのは当然だろう。なにしろ再婚した相手は暴力亭主なのだ。だから幼い孫を奪回に行くのだが、相手の家を探す過程でウィボーイ家が胡散臭い一家だということが分かってくる。こうして観客は胸騒ぎを覚えることに。バイオレントな感覚をじわじわとかもし出す脚本だ。
ブランチという女やくざのような母親のしゃべりとたばこの吸い方を見ると、背中を毛虫が這うがごとき不快感を覚えてしまう。しかも彼女が生んだ男どもは知性のかけらもない野蛮な連中で、母親の意のままに動く。スーパーマザコンのならず者軍団が手斧を持ってジェームズのホテルに押し掛けるのだ。恐怖の重箱弁当みたいな映画である。
おまけに地元の警察がウィボーイ一家の肩を持つとは救いようがない。昔から「土地っ子には逆らうな」という。これは喧嘩つまりストリートファイトのやり方を諭した言葉だが、本作を見ているとその土地全体の因習や暴力的な土壌にも当てはまることが分かる。
本作を見て思うのは孫から引き離される不条理がわれわれ日本人の社会でも起きているということ。法律によって愛する子供が第三者の管理下に移行される。その落ち着き先がまともな社会生活をしている家庭なら安心だが、反社会的な組織の場合、人は子供を守るために立ち上がりたくなる。
世の中にはローナのような義理の娘が統一教会の狂信的信者と再婚し、孫が昨今問題になっている“二世信者”の苦境に追い込まれることもあるだろう。だが親権が母親にある以上、老いた祖父母は手出しできず、見守るしかない。これこそが現代の不条理だ。その孫が昨今、当たり前のように行われている幼児虐待で殺されたら、目も当てられない。22年9月に一審判決が出た福岡5歳児餓死事件の男児のような悲劇となった日には、祖父母は十字架を背負って余生を生きることになる。そういう意味で本作は舞台は1966年だが、2020年代の日本を生きる我々に切実な問題を提起している。
本作の出演陣の中で一番の熱演は一家を取り仕切るブランチを演じたレスリー・マンヴィルだろう。照明に隠れた顔が姿を現し、息子が火をつけたタバコをふかしながらマーガレットに言いがかりをつける。その言動はまるでギャングの女ボス。いや、バカ息子を従えた女王バチだろうか。いい年をした息子どもが彼女の支配下でうごめているのだ。
ブランチが生んだ荒くれ男たちの暴力性はレスリー・マンヴィルの演技によってその危険性が増幅され、見る者を不安感でゾクゾクさせる。だからローナの「あそこにいたら、ジミーも彼らと同じになる」という言葉が重苦しくのしかかってくる。最近はやりの「親ガチャ」ではないが、人間は自分の境遇や環境を選んで生まれることはできない。そのことをブランチは嫌と言うほど見せつけた。レスリー・マンヴィルはちょっと演技過剰の趣はあるものの、アカデミー賞助演女優賞を受けてもいいほどの熱演だ。
それにしてもである。すべてが変わった日はいつなのだろうか?

ネタバレ注意

ただ、不満なのがラストだ。これでいいのかという割り切れなさを感じる。元警察官の無骨な男ジェームズが乱闘の末、家族のために死ぬとはいかにも米国映画のヒーローで、かの国の人々を感激させるのだろうが、終わり方としてやや安直すぎないかと文句のひとつも言いたくなる。ジェームズとマーガレットの夫婦関係の説明をさらりと省略して、結末の展開をもうひとひねりすれば良かった。そういう点で“惜しい作品”と言わざるを得ない。ただ、本作を見た小説家は「自分ならこんなラストに落とし込む」と想像力を働かせて新作を書き始めるだろう。72点。

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