同室した乗客は妻殺しの犯人なのか? 夜行列車を舞台に揺れ動く女の情念
夜行列車(1959年 イエジー・カヴァレロヴィッチ監督)
「尼僧ヨアンナ」(1961年)でカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞したイエジー・カヴァレロヴィッチ監督の代表作のひとつ。ポーランド版女性映画だ。
ポーランド中心部からバルト海に向かう夜行列車に人々が乗り込む。サングラスをかけて他人との関わりを避けるイエジー(レオン・ニェムチック)や若いカップル、司祭と司教の2人連れ、老弁護士とその妻など。
イエジーが2人用の一等個室に入ると、マルタ(ルチーナ・ヴィニエツカ)という美女が座っていた。マルタはある男に切符を譲ってもらったと説明し、退室せよという車掌の要請を無視。揉め事を嫌がるイエジーが承認したことから、見知らぬ男女が同室して列車は夜を走り続ける。
実はマルタは年下の青年に付きまとわれていた。青年は列車が停車するとホームからマルタに言い寄る。一方、弁護士の美人妻はイエジーに色目を使う。そんな中、列車が停車。警官が乗り込み、イエジーを妻殺しの犯人として拘束するのだった。
重厚なモノクロ画面に女性ボーカルの気だるいスキャットが流れ、イエジーとマルタの会話が進む。クールな女は思いのままに振る舞いつつ、イエジーに心を開き始める。だが彼が殺人犯と疑われるや青年に会いに行く。イエジーに好意を抱いた自分を悔いるかのように。
しかしマルタは個室の切符を譲ってくれた男を発見し、真犯人ではないかと警官に通報する。真犯人は列車を止めて野原を逃走。乗客が総出で追いかけて逮捕し、イエジーの疑いは晴れるのだった。
ここで見逃してならないのが犯人を追う際の警官の物々しさだ。警察犬はしきりに吠え叫び、逃げた男を追い詰める。この場面はかつてナチが行っていたユダヤ人狩りを思わせる。おそらくカヴァレロヴィッチ監督は十数年前のナチの蛮行をイメージさせようとしているのだろう。ユダヤ人狩りは善人である一般人が保身のために行ったという側面もある。本作の犯人逮捕に乗り出す民衆も、かつてユダヤ人を密告した欧州の民衆も同じ穴のなんとやなのだ。
真犯人の逮捕によって、マルタの気持ちは再びイエジーに向かい、抱擁を求めるように体をすり寄せるが、「終着駅で妻が待っている」と告げられる。カメラはうなだれたマルタの後ろ姿をとらえる。女の失望感を表現した見事な映像だ。
初対面の男女が互いを探り合うやりとりが本作のメインテーマ。イエジーと青年を行き来するマルタの焦りに女の情念が潜んでいる。真犯人を追いかける群衆に漂う正義感の空々しさ、多情な人妻と彼女を狙う男たちなど、欺瞞と野次馬根性を乗せた列車は人間社会の縮図だ。愛欲の誤想を孕(はら)んで、人は時の流れを突き進んでいく。
蛇足ながら
犯人が官憲らの追跡によって逃げられなくなったとき、マルタは人々の中に紛れている。離れたところから彼を見つめながらも、逃げるように目を合わせるのを避ける。彼女の表情には後ろめたさがにじんでいる。この表情こそがルチーナ・ヴィニエツカの巧みな演技力を物語っている。
マルタは犯人の男と一夜を共にしたのだろう。だから切符を譲り受けた。その切符をくれた男を自分は群衆と共に追いかけた。犯罪者と愛欲を交わしたという背徳感と、裏切るように男を追い詰めたことへの罪悪感めいた心理がマルタの表情に横溢している。後者の罪悪感は解釈のしようによってはわが身かわいさのあまり、ユダヤ人を裏切ってゲシュタポに突き出した欧州人に共通する恥部かもしれない。この場面もしっかり見てほしい。