祭りの準備

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男と女が節操なく欲望を満たしていた時代

祭りの準備 (1975年 黒木和雄監督)

筆者は1980年ごろ、この作品を二子玉川駅近くの名画座「二子東急」で見た。
目的は当時人気絶頂だった竹下景子のヌードだったが、作品の完成度の高さにうならされた。もちろん竹下の胸もきれいだった。
舞台は1950年代の高知県の漁村。主人公は信用金庫に勤めながらシナリオライターを目指す楯男(江藤潤)だ。ヒロポン中毒で精神を病んだ若い女タマミ(桂木梨江)が帰ってくる。皆で慰みものにする男たち。楯男の祖父はタマミを妊娠させ、彼女が出産と同時に正気に戻るや、絶縁されたショックで首吊り自殺。一方、隣家の利広は「ええのぉ、信用金庫は」と楯男をうらやみながらろくに働きもせず、悪さばかりしている。その兄は妻とのセックスにふけっている――。

中島丈博による自伝的な脚本。タマミが出産によって精神疾患から回復するなど、やや大げさな話をユーモアのオブラートに包んで演出している。
筆者は九州に生まれ、夜桜銀次を輩出した田舎町の出身だから、この映画の雰囲気がよく分かる。昔の田舎町は暴力とヤクザを賛美し、男と女が節操なく蠢いて欲望を満たす世界だった。
見どころはラスト。強盗に入った民家で人を殺し逃げ回っている利広が駅舎で楯男と会う。楯男は物書きになるべく、親に内緒で町を出て行くところだ。目指すは花の東京。晴れの門出の男と、警察に追われる殺人犯。明と暗の対比は本作の6年後に公開された「遠雷」(根岸吉太郎監督)に通じるものがある。
「あれしきのことで人が死ぬとはのぉ……」と悔やむ利広に見送られながら、楯男は列車で故郷を去っていく。利広は駅のホームで人目もはばからず「万歳!」を繰り返す。名場面だ。本作が撮られた70年代、日本映画は人々のエロスと暴力、エゴイズムをガンガン掘り起こし、「どうだ、面白いだろ」と提示することが認められていた。観客もそのドロドロした世界にカタルシスを覚える余裕があったのだろう。大島渚監督が「愛のコリーダ」を発表したのは76年だった。

本作は原田芳雄あってこその傑作である。

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