「ときめきに死す」 暗殺者、やさぐれ医師、娼婦の3人に芽生える連帯とプラトニックラブ

暗殺者、やさぐれ医師、娼婦の3人に芽生える連帯とプラトニックラブ

ときめきに死す(1984年  森田芳光監督)

この「ときめきに死す」が公開された1984年、大晦日の「NHK紅白歌合戦」で沢田研二は「AMAPOLA」を歌った。この曲は同年のヒット映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(セルジオ・レオーネ監督)の中で少女時代のデボラ(ジェニファー・コネリー)が踊りの練習をするシーンに使われていた。沢田が「AMAPOLA」を歌い終わった瞬間、胸に飾られたコサージュから赤い液体が噴き出し、頬をかすかに染めた。「なるほどなぁ」と思った。この「ときめきに死す」に触発されて沢田の自己愛的マゾヒズムが疼いたのだろう。
本作の主人公は沢田演じる若き暗殺者・工藤直也。北海道の小さな駅に降り立った彼を元歌舞伎町の医者を名乗る中年男・大倉(杉浦直樹)が出迎え、森に囲まれ別荘に送り届ける。大倉はある組織から大金をもらって別荘の管理人を務め、工藤の世話を命じられているのだ。やさぐれた医師のイメージが強い。
工藤はナイフのコレクションが趣味で、衛生観念に神経質な性格。食事の前にデザートの果物を食べたがる風変わりな青年だ。序盤は工藤と大倉が一緒に海水浴に行き、釣りを楽しみ、カップルと小競り合いを起こしたりと男だけの時間が経過する。
この2人の日常に、依頼主のはからいでコンパニオンのひろみ(樋口可南子)が派遣される。ひろみは男たちの性欲処理のために雇われた娼婦だが、大倉は工藤の前に自分が手を出すわけにはいかないと言って、彼女に触れようとしない。さりとて工藤もひろみを抱こうとせず、プラトニックな距離を保っている。やがて大倉はこの町に新興宗教団体の会長が来訪することを知り、工藤の使命が襲撃だと気づくのだった。
暗殺者の映画といえば「ジャッカルの日」「暗殺者のメロディ」「ニキータ」などが有名。邦画では市川雷蔵の「ある殺し屋」や松田優作の「遊戯」シリーズか。暗殺は映画の大きなテーマだ。
本作の主人公は暗殺者だが、ハードボイルド作品ではない。丸山健二の小説が原作だけに、これといったヤマ場もなく淡々と話が進む。退屈だとけなす人もいるが、一貫して流れる気だるい雰囲気が本作の魅力だ。銃撃や格闘シーンを期待する人はがっかりするので見ないほうがいい。
工藤は殺しのプロではなく、錆びたトタン板の家に住む貧しい家族のためにカネで雇われた素人。見た目は幽霊のようだ。はすっぱな口調のひろみはいつしかかわいい女に変わり、仕事を忘れて工藤に引かれる。情動を抑えきれずに唇を求めた接吻シーンが実に美しい。大倉は殺しをやめて一緒に逃げようと工藤に持ちかける。3人の感情が絡み合い、大倉とひろみまで悲壮感を帯びていくのが重要ポイントだ。塩村修による主題曲が耳に残る。杉浦直樹は本作でアジア太平洋映画祭助演男優賞を受賞した。
見どころは暗殺シーンを含めたラストだが、筆者は終盤の3人がクルマで実行現場に向かう車中の映像が印象に残っている。大倉が運転するクルマの助手席にひろみ、後部座席の右側に工藤という配置で海沿いの道を走る。カメラは車外をくるりと一回転して内部を映し出す。3人とも無言。口を開こうとしない。ひろみの物憂い表情には何かを言いたいけど言えないもどかしさが潜んでいる。テロリストの欲望を満たすためにやってきた女が、肉体を交えてもいないのにいつしか恋慕の情を胸に抱いているのだ。
大倉とひろみのわずか数日間の心理変化は工藤が持つ少年のような純粋さとこれから修羅の道をたどる彼への同情ゆえだろう。謎の男の事情と使命を察知することで他人同士の関わり合いが濃密になっていく。暗殺者をテーマにした映画にこの種のストーリーはあまりない。昔から「テロリストは孤独」と言うが、その言葉どおり工藤は人知れず苦悶しているのだ。

蛇足ながら

本作は「家族ゲーム」(83年)に続く森田芳光監督作品だ。少し気になる部分がある。中心となる役者3人の演技とキャラ設定は申し分ないのだが、日下武史演じる宗教団体幹部がピンボールに興じパソコンのディスプレーで物語の進展を説明したり、水着の若い女や海で絡む男(岸部一徳)、バックアップ要員が英語でしゃべるなど、今日的表現でいうところの❝スタイリッシュ❞な感覚にこだわりすぎた印象がある。見ていて少し照れくさいのだ。
本作が公開される少し前、筆者は大学を卒業してまもない駆け出しのライターで、森田監督のインタビューを担当した。場所は都内の編集スタジオ。森田監督はこの「ときめきに死す」の最終仕上げの真っ最中ながら、質問にはきはきと答えてくれる好人物だった。
これからどんな監督を目指すのかと聞いたとき、彼はよく通る声で「どんなチャンスも無駄にせず、カネの稼げるかっこいい監督になりたい」と答えた。好きな映画を聞くと「スピルバーグ監督の『激突』なんかも好きです」という。なぜかと聞いたら、「あのじわじわ迫ってくる恐怖感にひかれる」とのこと。
筆者は「それもあるかもしれませんが、『激突』は若きスピルバーグがチャンスをつかんだ出世作。カネの稼げるかっこいい監督になりたいという気持ちがこの作品のスピルバーグと重なっているのではないですか?」と聞いた。森田監督は少し考えて「そうかもしれません……。いや、たぶんそう。そうですね」と言った。なんだかうれしかった。
その後、森田監督は「それから」(85年)、「黒い家」(99年)など数多くの力作を世に送りだし、2011年12月、C型肝炎による急性肝不全で死去した。まだ61歳だった。

ネタバレ注意

本作の主人公はタイトルどおり死を迎えるが、丸山の原作と違い、その死に方は凄絶だ。原作では暗殺に失敗した青年が胸に刃物を突き立てて死ぬ。一方、映画では工藤が自慢の丈夫な前歯でみずからの手首を噛み破り、血しぶきを浴びながら悲鳴を上げる。
沢田は本作の主演を熱望して映画化権を内田裕也から譲ってもらったというが、この演出はナルシシズムを満たすにぴったりだっただろう。年末の紅白は本作の流血の続編だったといっていい。

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