愛と青春の旅だち

主人公の任務はパイロットとして女子供を虐殺すること

愛と青春の旅だち(1982年 テイラー・ハックフォード監督)

原題は「An Officer and a Gentleman」で、直訳すると「士官と紳士」。士官たる前に紳士であれという意味だそうだが、日本では「愛と青春の旅だち」というミーハーなタイトルに改造して多くのカップルを劇場におびき寄せた。
この当時、洋画の邦題に「愛と」をつけるのが流行した。「愛と喝采の日々」(77年、原題「The Turning Point」)、「愛と哀しみのボレロ」(81年、同「les uns les autres」)、「愛と追憶の日々」(83年、同「Terms of Endearment」)など数え出したらきりがない。「愛と」は当時の映画界が手っ取り早く稼ぐための常套句で、多くの女性がそこに幸福フェロモンを感じ取った。だから本作はヒットし、主題曲はいまだに愛の名曲と称賛されている。
本作のストーリーはご承知のとおり。ジェット機のパイロットを志望するザック(リチャード・ギア)が大学を卒業すると同時に海軍士官養成学校に入り、鬼のようなフォーリー軍曹(ルイス・ゴセット・ジュニア)にしごかれる話。そのかたわら地元の工場で働くポーラ(デブラ・ウィンガー)と恋仲になり、最後は有名なお姫さま抱っこを披露。客席の女性はハンカチ片手に涙で顔がグチョグチョ。硬派の男性は苦笑いし、映画の選択を彼女に任せたことを後悔した。
本作を大昔に見てお姫様抱っこに強烈な印象を受けた人はよく覚えていないかもしれないが、物語の主軸はザックの逆境からの脱出物語である。冒頭は飲んだくれの父親がベッドで全裸の女と抱き合って眠り込み、目が覚めるとトイレでゲエゲエ嘔吐する場面。父は海軍の水兵で、これまで酒と女遊びにうつつを抜かしてきた。そのせいか、ザックの母は自殺してこの世にいない。最悪の環境だ。しかも子供のころに父に引き取られて移り住んだフィリピンでは同世代の悪ガキどもからカンフーの暴力を受けてカネを奪われた経験がある。これを契機に修行したのか、大人になったザックはめっぽう強い。
ザックはしがない水兵の父を乗り越えるために士官養成学校に入ることを決意した。社会の底辺でもがいている若者が一念発起したわけだ。だからフォーリー軍曹にしごかれ、学校から出て行けと怒鳴られたとき「行く場所がない」と半泣きで訴えた。ザックの意識の中には、ここで落伍したらあの父のように無為な人生に転落してしまうという不安と脅えがあるのだろう。82年当時の米国は今ほど貧富の差が激しくなかったそうだが、それでも不幸な人間はいたわけだ。
世の中には自分自身を厳しい環境に突き落として自信をつけ、より良い方向に向かわなければならない人がいる。その代表格がザックだろう。鬼軍曹から人権無視の罵詈雑言を浴びせられ、特訓で泥の中に沈められる。ザックの仲間は水中脱出の訓練で死にかけ、パイロットの道を断念する。実にシリアスなドラマだ。
見どころのひとつは地元の女たちの生態だ。養成学校の周辺にはパイロットの妻になって今の境遇を脱したいと願う女が虎視眈々と待ち構えている。身請けしてくれる男を待つ江戸時代の遊女のようだ。フォーリー軍曹は、地元の女たちが彼らに言い寄り、「ピルを飲んでいる」とウソをついて中出しさせるのだと忠告する。
たしかに彼女たちは計算高い。ザックの親友シド(デヴィッド・キース)は純朴ゆえに恋人リネット(リサ・ブロント)の本心を見抜けず、女の股間に潜む底なし沼に沈んでしまった。だが彼女たちに悪意はない。幸福のために肉体を使っているのであり、新たな訓練生が入るたびに“肉弾戦”を仕掛けるという、まさに体当たりの行動を繰り返しているにすぎない。それでも、よそ者に女を横取りされた町の若者たちは面白くない。だから夜の酒場でザックに絡み、ケンカを仕掛けてくる。現代の日本の田舎町でもよく見かける光景だ。
ポーラもリネットも士官に昇進した男とともにこの町から逃れ、海外の米軍基地を移動する生活を夢みていた。つまり2人の女とザックという若者たちが有意義な人生をつかもうと模索していることになる。その結末を映画は男の変心をちらつかせて観客をやきもきさせ、お約束の大団円で締めくくった。米国映画が客席に爽快感を散布するときの定番パターンだ。何度やられても、人間はこの手法で鬱積した感情を除去するらしい。

蛇足ながら

女性の観客の一部はポーラとリネットの運命の違いに寓話的な教訓を見い出すかもしれない。2人の女の明と暗。リネットの判断が正しかったのかどうかは、見る人それぞれの幸福観の違いに表れるはずだ。そういう意味で本作を見た女性に、リネットの“裏切り”をどう評価するかを聞いてみるのも一興だろう。その女性の人間性を垣間見ることができるかもしれない。幼いころ、逆境に身を置いた女性ほどリネット派に走るのではないか。とはいえ、人はまず自分自身の幸福を追求するものだ。リネットの考え方や言動を非難することはできない。
もうひとつの注目点はフォーリー軍曹が訓練生に吐く「貴様らは女子供の頭上にナパームを投下できるか」という言葉。弱者を虐殺するのが主人公たちの任務であり、ハリウッドはセリフによってその現実をむき出しにする。パイロットであるかぎり、爆弾であろうとミサイルであろうと発射しなければならない。「地獄の黙示録」(79年)では虐殺の道具はヘリコプターだった。
本作の公開後も米国は紛争地への空爆を続けてきた。米国という戦争好きの番長に、日本の首相や閣僚はチンピラよろしく従おうとしている。本当に大丈夫なのか?

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