「ターミネーター」 シュワちゃん型キラーロボットが人間を殺す日

シュワちゃん型キラーロボットが人間を殺す日

ターミネーター(1984年 ジェームズ・キャメロン監督)

ご存じ、アーノルド・シュワルツェネッガーとジェームズ・キャメロン監督の出世作。
2029年、地球では人類VSロボットの戦争が繰り広げられていた。ロボット軍団を追い詰めた指導者の誕生を阻むため、1984年の現代にアンドロイド型ロボットのシュワちゃんが現れ、未来社会での指導者の母となるサラ(リンダ・ハミルトン)を殺そうとする。同時刻、人間のリース軍曹(マイケル・ビーン)も送り込まれ、サラを守るため銃撃戦を繰り広げるのだ。
逃走活劇にサラのベッドシーンをおまけしたサービス満点映画。シュワちゃんが自分の腕を切り開いて修理し、目玉を取り出す姿に当時の観客はギョッとさせられた。ロボットだから怪力で、大型銃を見境なくぶっ放す。ディスコで道路で警察署でと、ピンク映画の濡れ場みたいに嫌というほどの銃撃が盛り込まれている。
とはいえ、要はシュワちゃんがドジだから、人間に逃げられドンパチが続くわけだ。ロボットなんだからしっかりしろよと言いたくもなる。というか本物のAI(人工知能)であれば、人間よりずっと頭が良く、先を見越して行動できるはずだ。自分が追いかけているターゲットが次にどんな手を使って逃げるかを予測できるだろう。そうしたAIの優れた頭脳を発揮せず、ひたすら銃弾を放つところが「なんだかマヌケだなぁ」と思ってしまう。まあ、本作が日本公開された1985年当時の観客はまだ純真だったうえに、シュワちゃんのロボット造形の斬新さに目を奪われ、機械人間のおバカぶりに気づく余裕がなかったと言えよう。
実は筆者もそうだった。ジェームズ・キャメロン監督はラストのシュワちゃんをしつこく暴れさせる。なんとロボットが骨だけになっても襲いかかってくる。ロボットは痛みなどないから、自分が破壊されたと考えない。一度プログラムされた殺害命令を実行するのみ。筆者はこのラストを含めたシュワちゃんロボットのご乱行を見たあと、友人と「すごかったなぁ」と興奮して感想を語り合った。
そのとき子供の時分に読んだ漫画「包丁人味平」を思い浮かべていた。味平の父である日本料理の板前が、生きた魚をさばく場面。魚は頭と骨だけになりながら、自分がまだ生きていると思い込み、水槽の中を悠然と泳ぎ始める。骨だけになったシュワちゃんもまた、自分がほとんど死んだとは思わず、人殺しに邁進するわけだ。それと、未来からやってきたリース軍曹とサラの間に未来の指導者が生まれるという摩訶(まか)不思議なスパイラルは考えだしたら頭が痛くなるが、そこはさらりと流してしまいたい。
それよりも、興味深いのは未来世界だ。思考力を持つ防御ネットコンピューターが人類の抹殺を図るのは「地球爆破作戦」(70年)に似た話。人間が収容所で体に刻印され、死体処理を強制されるのはナチの強制収容所を描いた「サウルの息子」(15年)を思わせる。
現代ではシュワちゃんのような兵器は「キラーロボット」と呼ばれ、「LAWS(自律型致死兵器システム)」の分野に含まれる。無人攻撃機とは範疇(はんちゅう)が異なり、事前に組まれたプログラムに従って敵の発見、追尾、攻撃、結果の評価など軍事行動のすべてをAIが行うシステム。故ホーキング博士は「AIは自分自身の意思を持ち、私たちと対立するかもしれない」との警告を残している。本作のように人間狩りの戦争に走る可能性もあるのだ。
AIは人間がためらうような残酷な殺し方を平気で実行する。シュワちゃんが女性2人を殺す場面をチェックしたら、それぞれの体に6発の銃弾を撃ち込んでいた。きっちり6発。「事前に組まれたプログラム」による行動なのだろう。
今やロボットがバク転する時代だ。80年代は絵空事に過ぎなかった殺人ロボットが現実になってきた。近い将来、プーチンの命を受けたシュワちゃんがウクライナの国民を虐殺するかもしれない。恐ろしいことだ。

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