キツツキと雨

若者と初老男、ゾンビをめぐる奇妙な交流

キツツキと雨(2012年、沖田修一監督)

第24回東京国際映画祭で審査員特別賞を受賞。役所広司が初老の木こりを自然体で演じた。 役所広司の作品は大概見ているが、彼の最高作ではないかと思う。演じているというより主人公に成りすましている印象さえ受けるのだ。

岸(役所)は山間の村で働く木こり。妻に先立たれ、出来の悪い息子・浩一(高良健吾)を持て余している。ある日、彼の生活にゾンビ映画の撮影隊が入り込む。村で撮影を開始したのだ。岸は彼らの頼みで道案内やエキストラ出演をしているうちに映画作りに魅力を感じ、撮影スタッフの中で一人だけろくに働かない青年・幸一(小栗旬)が気になってくる。

実は幸一はこの映画の監督なのだが、生来の気弱な性格のため重圧感に勝てず撮影現場から逃走。列車に乗って東京に逃げ帰ろうとするところを、駅でベテラン助監督の鳥居(古舘寛治)に捕まり、土下座して謝る。

その夜、幸一は岸を訪ねて親しくなり、翌日は撮影で助言を求める。やがて撮影はクライマックスを迎えるが、雨で中断に追い込まれ、ピンチに陥るのだった……。

登場するのはむくつけき男とゾンビメークのエキストラたち。奇妙な作品だが、脇役たちがコミカルに動くため、クスッと笑いながら見終えてしまう。大げさな反応をする木こり仲間の伊武雅刀、厚かましい助監の古舘、幸一を小ばかにしているカメラマンの嶋田久作、ベテラン俳優役の山崎努など。舞台が山奥だからか、彼らはのびのびとした演技で物語を進める。沖田監督がトークショーで認めてもいることだが、樹木希林が彼の「モリのいる場所」(18年)に出演したのはこの「キツツキと雨」を見てその力量を高く評価したからだった。

幸一は25歳で岸は60歳。親子ほど年が離れているが、岸はおどおどしている幸一を見捨てられず、いつしか両者は頼り・頼られの関係になる。愚直な六十男の飾らない励ましによって監督としての自信を取り戻す幸一。岸が杉の木の樹齢をたとえ話にして教訓を与える場面がいい。そうした中、岸は幸一の生き方に触れたことで、息子の浩一を怒鳴ってきた自分を改める。人間の出会いは不可思議だ。

林業と映画製作。住む世界が百八十度違う2人が化学変化のように溶け合い、それぞれの人間関係が好転するのがミソだ。 林業や漁業の従事者というとわれわれは「ちょっと怖い」「取っつきにくい」というイメージを抱いてしまう。昔から漁師は「板っこ一枚下は地獄」と自分たちを荒くれとして語る。木こりだっていつ熊に襲われるかわからないし、そもそも木を切るのが仕事だからコミュニケーション能力は必要ない。そのため木訥とした男が多いのは事実だ。極論すれば寂しがり屋にはできない仕事ともいえる。岸もそうした孤独を愛するタイプの人種なのだろう。

だがおそらく岸は木を切るという単調な暮らしの中で何らかの刺激を求めていた。それは無意識の願望だろう。そこに映画のチームがやって来た。彼らが頭を下げて協力を求める頼み事は、実は岸の潜在的な冒険願望を満たすに十分なのだ。しかも目の前には見捨てることのできないダメ監督がいる。こうした条件がそろったとき、人は化学反応のようにすんなりと結びつく。「邂逅」と表現してもいいだろう。その運命的な出会いの正当性を補強する恰好で映画は悪天の撮影になだれ込む。長年の経験が青年監督を救う姿は月並みな言い方だが、やはり心温まるものがある。

無言のラストがいい。撮影が終わり、岸と幸一はそれぞれの生活に戻った。岸は新しい撮影現場で「監督」と書かれたディレクターズチェアを愛用。一方、今日も無言で森林に向かう岸は作業の最中に何かを聞いたように天を仰ぎ見る。誰かが岸を呼んだのだろうか。こうして2人の間に心の交流が続くことを暗示してドラマは終わる。幾重にも余韻が残るエンディングだ。

われわれサラリーマンも岸と幸一のような出会いのチャンスに日々遭遇しているはずだ。だが多忙の中で気づかず、すれ違っているのだろう。もったいないことだ。

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