未知との遭遇

宇宙人はなぜ、パイロットを連れ去ったのか?

未知との遭遇(1977年 スティーブン・スピルバーグ監督)

今年4月、米国防総省が3本の「謎の空中現象」の映像を公開した。これを受けてマニアの間から「UFOに間違いない」という声があがった。新聞社系の週刊誌はこの現象が本当にUFOなのかを検証する記事を掲載。たま出版社長だった韮澤潤一郎や物理学者・大槻義彦の名前を久しぶりに目にして、1990年代を思い出してしまった。おまけに6月半ばには東北の空に謎の白い飛行物体出現が出現した。地球の空には不可思議なことが起きるものだ。
本作は宇宙人と地球人の交流を描く。1978年2月の日本公開時に劇場で「美しい……」と嘆息した人もいるだろう。巨大UFOはシャンデリアのように絢爛豪華だった。
電気技師のロイ(リチャード・ドレイファス)はある夜、停電の復旧作業事でクルマを運転中にUFOと遭遇。その物体の光を浴びて顔の半分が日焼け状態になる。一方、シングルマザーのジリアン(メリンダ・ディロン)は夜中に家が振動して掃除機など家電が勝手に作動した上に、幼い息子をUFOを連れ去られてしまう。
UFOの目撃がきっかけでロイはシェービングフォームを見て山の形を連想。何かに取りつかれたように自宅に土を運んで山の模型を築く。あまりの奇矯ぶりに妻は愛想を尽かして出て行くが、ロイは山の造営に熱中。やがて自分が作っている山がワイオミング州に実在する巨岩だと知る。
彼がワイオミングに到着すると、そこにはジリアンもいた。おまけに現地では軍をはじめとした国家機関が一般人をシャットアウト。彼らは周辺に毒ガスが蔓延していると説明するが、ロイがガスマスクを外しても害はない。かくしてロイはジリアンを連れて山を登り、人類が宇宙人と接触する光景を目撃するのだった……。
本作が衝撃的だったのは宇宙人との「友好」がテーマだからだ。従来のSF映画は人間が宇宙人に襲われる話ばかりだったが、本作では音楽で交流し、行方不明の海軍パイロットを引き渡してもらう。当時ホワイトハウスで上映してカーター大統領が見たことが話題になり、「カーターは宇宙人との接触を検討している」とも報道された。このことがUFO実在説を信じる人に拍車をかけた。まだアダムスキー型円盤の映像が本物と信じられていた時代のことだ。
映画の前半で口笛を吹きながらUFOを待つグループが登場するが、このころ日本でも同じような集団がテレビに出演。「UFOの船長さま。どうか姿を現してください」と真顔で空に語りかけ、「今日は来ませんねぇ」と苦笑いしていた。UFOを信じるのは一種の宗教。本作のように宇宙人にマインドコントロールされる話は信者を魅了するに十分だろう。
今年の2月に50代の女性ライターと世間話をしていたら、「すでに地球にはかなりの数の宇宙人が入り込み、われわれと一緒に生活している。今年は彼らの姿が顕在化する」と言われた。つまり今年は宇宙人が堂々と姿を現すエポックの年になるというのだ。残念ながら、本稿を書いている7月時点ではまだ宇宙人祭りの炎上は起きていない。新型コロナを恐れてマザーシップに避難しているのだろうか。
本作には意味不明の部分もある。映画のラストで宇宙人はバミューダトライアングルで行方不明になった戦闘機のパイロットたちを数十年ぶりに解放した。彼らは無事に帰還したわけだが、まるで夢でも見ているような顔つきだ。ということはこの数十年間、パイロットたちの記憶が途切れていたことになる。彼らが老けていないのを見ても、いきなりこの時代にタイムトリップしたように思える。
宇宙人はなぜ、何の目的があってパイロットの身柄を拘束し、すぐに解放せず、この時代に連れてきたのか。これでは北朝鮮の拉致と同じではないか。こうした疑問への回答もなく、生還してめでたしめでたしだ。
おまけにロイたちはマザーシップに乗り込む。彼らが何をしに、どこに向かったのかも分からない。想像をめぐらせて考えると、彼らは宇宙と地球の懸け橋として派遣された。分かりやすく言うと交換留学生みたいなものかもしれない。宇宙人から何を学ぶのか。そして宇宙人は彼ら地球人を受け入れて何をしようというのか。妻に逃げられたロイは宇宙で幸せになれたのだろうか。もしかして宇宙人と再婚したのかな。

蛇足ながら

この映画の序盤にインディアナポリス航空管制センターが出てくる。民間の航空機2機が赤と白の強烈な光を発する奇妙な飛行物体と遭遇。この物体が猛スピードで自分たちの機とすれ違ったことを実況で報告する。ここで管制官は一機のパイロットに「UFOとして報告するか?」と聞く。パイロットがためらっているため、もう一度質問したところ「いや、報告しない」との回答。もう一機のパイロットも「われわれもしない。説明ができない」と答える。
公開当時にこのシーンを見て、なぜ報告しないのかと不思議に思っていたが、最近になってその理由がなんとなくわかった。おそらくUFOを信じていると思われたくないのだろう。
先日テレビで見たのだが、米国の空軍ではUFOらしき物体を見たことを報告したパイロットが「UFOを信じる人間」と疑われて職を失うのではないかと心配し、「見た」と報告しないケースが多い。そこで彼らに積極的に報告させるため、現在は「UAP(unidentified aerial phenomena=未確認空中現象)」として報告させているという。米国防総省が公開した映像もそうしたものの一部かもしれない。
つまり本作の民間機パイロットはUFOを信じる人間というレッテルを貼られることを恐れて「報告しない」と拒否したとも考えられるのだ。この場面の質問と答えの間延びした間隔はそうでないと説明がつかない。

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