座頭市

腕が飛び、血しぶきが上がる迫力映像

座頭市(2003年 北野武監督)

座頭市といえば勝新太郎の十八番だが、北野武が大胆にもこの役に挑み、ベネチア国際映画祭監督賞、日本アカデミー賞優秀作品賞など数多くの賞に輝いた。
座頭市(北野武)がたどり着いた宿場町ではヤクザの銀蔵一家が民衆を苦しめていた。市は百姓のおうめ(大楠道代)の世話になり、彼女の甥の新吉(ガダルカナル・タカ)と賭場で出会い、意気投合する。
一方、旅芸人のおきぬ姉妹と、病妻を連れた浪人・服部(浅野忠信)も町に到着。おきぬ(大家由祐子)は弟をおせい(橘大五郎)という女形に化けさせて、子供のころ押し込み強盗に殺された親の仇を探している。服部の目的はかつて御前試合で自分を負かした浪人への意趣返しだ。そのために妻おしの(夏川結衣)を連れて浪々の旅をしている。服部はカネのために平気で人を殺す男で、この宿場町で銀蔵一家の用心棒になる。
新吉とともに博打で大勝ちした市はさいころの音に文句をつけ、賭場のやくざどもを斬りまくる。おきぬは仇の正体を知って接近するも、やくざの手下に囲まれて万事休す。そこに市が登場するのだった。
勝新太郎の座頭市は80~90分台と上映時間が短く、ストーリーもシンプルだった。これを物足りないと思う映画ファンに本作はオススメだ。やくざと盗賊の悪逆、姉妹の仇討ち、浪人の悲哀と3つのドラマが場面を融合させて同時進行。3者の過去と正体、謎解きがユーモラスな味付けの中で次々と浮かんでくる。市が音だけで壺の中のさいころの目を次々と当てて銭を稼ぎ、それを見た新吉が勝手に真似するくだりや、市がおせいを「ねえさん、おめえ本当は男だな」と見抜くあたりは勝新版にはなかった。
北野監督は勝版と一味違う演出を試みている。勝は数人の男に囲まれ、「こちとら、めくらだ。風を起こしてくれなきゃ斬れねえぜ」と相手を挑発し、全員をノーカットで瞬殺する。これに対して北野は技術的な事情なのか、カットを割りながら一人ずつ斬っていく。賭場での大立ち回りはやくざとの斬り合い映像を省略。画面に市の姿は見えず、相手の腕が飛び、刃が二閃、三閃して刺青を彫った体に深手を与える映像で血生臭さをイメージさせた。CGによる血しぶきと効果音が迫ってくる。ラストのタップダンスもゴージャスで楽しい。
ただし斬り合いが多すぎる印象もある。おうめの家で市が回想する雨の中での立ち回りは必要だったのだろか。疑問が残るのだ。
また、本作の市はハードボイルドなスーパーマンだ。勝新版の市は相手が誰であっても腰が低く、腹が減ると女中の好意でよそってもらった大盛りのどんぶり飯にがっつく。阿呆のふりをして田んぼの案山子に話しかけ、その懐に大金を隠す場面があった。幼い男児を背負って役人らの山狩りを逃れる際に、「あっ、たいまつだ。きれいだなぁ」と言う男児に「坊、たいまつはどっちに向かってるかい?」と聞くシーンもあった。悲愴感が漂っていたのだ。そのため勝新版の市は「悲しくなるから見たくない」という女性もいる。
しかし北野版はそうした人間身のある市ではなく、クールだ。そこには「BROTHER」「HANA―BI」に通じる主人公の超人的な強靭さがあり、それが北野版の特徴的な魅力ともいえるだろう。
服部が妻同伴なのは勝新の「座頭市兇状旅」(1963年)に似ている。やくざの元締のくだりは米映画「ユージュアル・サスペクツ」(95年)だろう。「そうだったのか?」といわせる伏線の回収もうまい。ヤクザが正業を営んでいる設定は現代のフロント企業を暗示しているのだろう。
冒頭のヤクザが仲間の腕をうっかり切る場面では89年の「座頭市」の事故を思い出してしまった。考えすぎだろうか。

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