ディア・ハンター

ロシアンルーレットを楽しむ“極悪ベトコン”

ディア・ハンター(1978年マイケル・チミノ監督)

アカデミー賞5部門を獲得。マイケル・チミノは本作のあとで撮った「天国の門」が大ゴケし、ユナイテッド・アーティスツを倒産させた。「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」(85年)などの作品もあるが、やはり一発屋監督だ。
ストーリーはご存じの通り。ペンシルベニア州の田舎町に住むロシア系移民のマイケル(ロバート・デ・ニーロ)が友人のニック(クリストファー・ウォーケン)、スティーブン(ジョン・サベージ)とともにベトナムに出征。偶然にも3人は戦場で再会し、ベトコンの捕虜になるが、マイケルの大胆な作戦で窮地を脱する。だがニックは失踪。スティーブンは脱走の際にヘリから落下して大けがを負い、両足と左腕を失う。
そうした中、マイケルはニックの恋人リンダ(メリル・ストリープ)と深い仲になる。ニックがまだベトナムにいることを知ったマイケルはサイゴンに向かうのだった。
見どころはロシアンルーレットを強要される場面だ。スティーブンが恐怖で過呼吸になる中、マイケルは回転弾倉の拳銃を指さしてベトコンの監視兵に「弾を3発にしてくれ」と要求。ニックを相手に交代でこめかみに銃口を当てて引き金を引く。恐怖に顔を歪め、発砲しなかったことに喜ぶニック。気合いとともに引き金を引くマイケル。死に直面した戦慄の緊張感が画面いっぱいみなぎっている。その結果、マイケルは叫びながらベトコンを瞬殺。この狂気じみた緊迫感に観客は度胆を抜かれた。ロシア系移民の息子たちがロシアンルーレットを強制されるという皮肉な設定も当時話題になった。
米兵が一方的に犠牲者として描かれているとの批判も起きた。長い結婚式とマイケルらの鹿狩りが終わるとピアノの音とともに一気に戦場に切り替わる。ヘリの爆音が響く中、ベトコンは土中に避難した女子供の集団に平然と手りゅう弾を放り込んで殺害。ホーチミンの写真を飾ったアジトで捕虜をばくちの道具にする。ニックは精神を病み、スティーブンは車椅子の人となる。マイケル・チミノ監督はベトコンを極悪人に仕立て上げた。
サイゴン陥落で米国が敗北したのは1975年4月。帰還兵は戦争支持派から「なぜ負けた?」となじられ、反対派からは「赤ん坊殺し」と非難された。国内に不満が充満する。だが敗戦からまだ3年だ。ベトナム戦争を正義の戦争と主張するのは憚(はばか)られる。だからベトコンを野蛮人にして留飲を下げたのだろう。
米国の若者がPTSDになったのは野蛮人のせいだ、俺たちは犠牲者なのだという論理。まるで日本のネット右翼だ。あの戦争はアジアを解放するためだった、日本は少しも悪くない、原爆を落とした米国が憎い――。
本作はベトコンの捕虜になってロシアンルーレットの恐怖を味わった若者とその恐怖に陶酔を覚えた者の物語だ。反戦映画ではないし、ベトナム戦争が米帝の侵略戦争だったという検証もない。被害にあった米国の若者の青春ドラマだ。そこには友情の絆があり、その友情を強調するためにマイケルは半ば狂人と化したニックに最後の勝負を挑む。ベトナム戦争をあくまでも米国の論理でとらえ、青春群像を美談調にアレンジしたともいえるだろう。
極論すれば、正義のない負け戦を総括するために自分たちを犠牲者という立場に置いてことさらに友情の部分を強調した。米国民が互いに傷をなめ合って自己満足したわけだ。そういう意味で「人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊」(68年)や「君を忘れない」(95年)をはじめとする、観客に悲劇のカタルシスを与えてきた日本映画と大差ない。
本作への反発なのか、ハリウッドは「地獄の黙示録」(79年)や「プラトーン」(86年)で米兵の残虐行為を再現した。それでも「ランボー/怒りの脱出」(85年)のようなベトコン悪人説の作品は後を絶たず、試行錯誤の末、ハリウッドは新たな鉱脈を見つける。「プライベート・ライアン」(98年)に始まる第2次大戦もので米国の正義を堂々と主張したのだ。その延長に「ハクソー・リッジ」(2016年)が生まれた。ベトナム戦争は映画界にも後遺症を残したことになる。

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