陽のあたる場所

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殺意の真因は上流社会への憧れ

陽のあたる場所(1951年 ジョージ・スティーブンス監督)

原作は1925年に発表されたセオドア・ドライサーの小説「An American Tragedy」(邦題「アメリカの悲劇」)。映画は「A Place in the Sun」となった。
母子家庭で育った貧しい青年ジョージ(モンゴメリー・クリフト)は伯父が経営する大企業に雇われる。単純作業に配属された彼は同じ部署のアリス(シェリー・ウィンタース)と恋仲に。その一方でパーティーで富豪の娘アンジェラ(エリザベス・テーラー)と知り合う。アンジェラはジョージを愛し結婚を求める。高根の花を得たジョージだが、ここに問題が。アリスが妊娠し、中絶できないのだ。このままでは幸福になれないと焦った彼はアリスを湖で殺害する計画を立てるのだった……。
恋人や妻が栄達の邪魔になったため殺害するのは古今東西の文学的テーマだ。日本では「四谷怪談」。浪人暮らしに嫌気がさした田宮伊右衛門が大店の娘と結婚するために妻・お岩を毒殺する。1976年に当時現役歌手だったKが愛人の女性を殺害した事件も同じ。女性は銀座ホステスからソープ嬢に転身してKに尽くしたが、Kは歌手としてカムバックする障害になると考えて命を奪った。
本作はアリスが死亡するまでの前半と裁判の後半に分かれる。ネタバレになるが、ジョージは殺害はしない。だが地方検事は法廷で厳しく追及する。
ポイントはジョージの良心だ。彼の母は恵まれない人のために教会の奉仕活動を続けている。その血を受け継ぐジョージは根は真面目な青年だ。彼が街頭で賛美歌を歌う人々を見つめるのは母を思い出したからだろう。
だが華やかな上流社会への切符を手にしたとき青年は身勝手な男に変身し、殺意を抑えられなくなる。しかもアリスは「すべてを暴露する」と当たり散らす。観客はジョージの焦燥感をわがことのようにとらえ、彼の最後の言葉を宗教的な人間精神として受け止める。
今日的な感覚でいえば、アリスはなぜ危険を回避しなかったのかとの疑問が浮かぶ。ジョージの殺意を感じながらボートに乗ったのは、ストーカー男に「もう一度会いたい」と頼まれて出かけていくようなもの。本作はそうした行動の危うさも再認識させてくれるのだ。

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