死刑台のエレベーター

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密室とパリの夜景 殺人事件を舞台にした悲しき女の情念

死刑台のエレベーター(1958年 ルイ・マル監督)

ルイ・マルが25歳で撮った初監督作品。若くして世界に才能を見せつけた。
公開時、スクリーンに登場する小物が注目された。日付を印字した紙がめくられる卓上カレンダー、電動鉛筆削り、ガスライター、超小型カメラなどはまだ珍しい品物だった。ついでに言うとベンツのスポーツカーも極めて斬新なデザインで、カーマニアがワクワクするような爆音を立ててハイウェーを疾走した。
加えてマイルス・デイビスによる音楽も秀逸。乾いたトランペットがハードボイルドな臨場感を高めた。嘘かまことか、マイルスが本作の映像を見ながら即興でペットを吹いたという伝説も残されている。1958年はマイルスがアルバム「マイルストーン」を発表した年。「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」をリリースした2年後である。
本作を一言で表現すると、殺人事件を舞台にした女の情念の物語といえるだろう。土曜日の午後のパリ。カララ産業社長の妻フロランス(ジャンヌ・モロー)が電話で「愛してる」を連発する場面から始まる。電話の相手は不倫関係にあるジュリアン・タベルニエ(モーリス・ロネ)だ。ジュリアンはフロランスと示し合わせて自分の雇い主であるカララ社長を殺害する計画を立てていた。自殺に見せかけた完全犯罪を狙っているのだ。
ジュリアンはオフィスで女性秘書に残業を頼み、彼女が電動鉛筆削りを使っている間にベランダからロープを使って階上にある社長室を訪ね、カララに拳銃を突きつける。カララを殺害し自殺を装って自分の個室に戻り、秘書とともに建物を出たはいいが、ベランダの手すりにかけたロープの回収を忘れたことに気づく。あわててビルに戻り、エレベーターに乗り込むジュリアン。ところが途中で警備員が電源を落としたためエレベーターは止まり、閉じ込められてしまった。その間に若いチンピラのルイが恋人ベロニクと共にジュリアンのクルマを盗んで走り去る。
フロランスはジュリアンが完全犯罪を成し遂げ、待ち合わせの場所に来るのを待っていたが、エレベーターに閉じ込められた彼が現れるはずがなく、彼女はそうした事情を知るすべもない。目の前を走り去ったジュリアンのクルマに若い女ベロニクが乗っているのを見かけて心の中に小さな疑念を抱くが、それでもジュリアンを信じてパリの街をさまよい歩く。まもなくルイがドイツ人観光客のスポーツカーに追突したことから彼らの部屋に招かれ、事態が複雑に展開するのだった……。
フロランスとジュリアン、チンピラのルイとベロニク、そしてドイツ人夫妻と、3組のカップルが登場。ひとつの殺人計画があらぬ方向に迷走するストーリーだ。ジュリアンを閉じ込めた建物を照らし出すライトの点滅、エレベーター孔をひらひらと舞い落ちる炎、夜間に轟く雷鳴、雨の中をずぶ濡れで歩くフロランスなど印象的な映像にマイルスのペットが重く染み込む。
ジュリアンは密室、フロランスは屋外と、密通の男女が正反対の場所にいる対比も面白い。
ジュリアンはエレベーターに閉じ込められて脱出する方法を模索する。床のカーペットをはがして鉄板をはずし、垂れたロープにぶら下がるが、折悪く入ってきた係員の電源操作によってエレベーターは降下。むき出しのコンクリートが急接近する。恐怖が伝わる映像だ。88年の米国映画「ダイ・ハード」で主人公のマクレーン刑事(ブルース・ウィリス)が通風孔を降りていくシーンを見てこの「死刑台のエレベーター」を思い出した人もいるだろう。
一方、フロランスはジュリアンの姿を求めて街を歩き回る。心の中の不安と猜疑心に向き合いながら彼の名を呼び、ときに語りかけて街をさまよう姿は何かに取りつかれているようだ。その呟きには夫を殺しても愛人と幸せになろうとする女の願望が表れている。全編を通して、モノクロ映像に浮かび、時に溶け込むジュリアンの姿は悩ましくも美しい。公開時ジャンヌ・モローは30歳、モーリス・ロネは31歳だった。
今なら携帯で外にいるフロランスに連絡して助けを求めることも可能だが、当時は電話でさえ貴重な時代だった。本作を見ると、昔は不便な時代だったなぁと改めて感じるのだ。
本作の特徴はフロランスとジュリアンが深い関係になったいきさつが描かれていないことだ。どういう経緯で知り合って男女の仲になり、どのような愛の交歓を味わって悪だくみをしたのかという説明はない。その部分は勝手に想像してくれということなのだろう。観客はただ、フロランスの「愛してる」「ジュリアン、どこにいるの?」という悲痛なる愛のつぶやきの中に、2人の葛藤を察するしかない。ルイ・マル監督がスクリーンの裏側から、過去よりもパリの一夜に集中して見てくれよと語りかけているようだ。
かくして男女はすれ違い、フロランスの呼びかけが夜の景色に空しくこだまする。誰かを殺して幸せをつかもうとする犯罪は現代の日本でも繰り返し発生している。小説や映画にとって不変のテーマだ。ヨーロッパの人々も同じ。女の心の叫びに人間の生々しいドラマを見出そうとする。繰り返しになるが、「死刑台のエレベーター」は悲しき女の情念の物語なのである。

ネタバレ注意

この映画にはいくつかの皮肉な仕掛けが施されている。ジュリアンはカララ産業に勤める前はインドシナ、アルジェリアの戦争に従軍した大尉で、戦争の英雄として尊敬されている。フランス国軍の将校として独立を求める民衆を殺しまくったのだろう。映画「アルジェの戦い」(66年)を思い出す。その彼が雇い主である軍事産業の親玉、つまり死の商人を殺す。原因は一人の女だ。言い換えれば戦争屋と戦争屋が痴情のもつれで仲間割れをしたようなものか。
もうひとつある。チンピラのルイによって射殺される夫婦はドイツ人だ。ルイが彼らのスポーツカーを盗む際に「仕返しだ」とセリフを吐いたのは十数年前にナチスドイツに占領統治されたことへの恨みの表れかもしれない。もしそうなら「ルシアンの青春」(74年)、「さよなら子供たち」(87年)で描いたルイ・マル監督のナチ批判の萌芽と言えようか。結果的に劇中のドイツ人夫妻は「仕返し」を受けた。発端はベンツのスポーツカーである。
ただ、本作には不自然な点もみられる。ジュリアンは軍隊の元将校だからレンジャー訓練を受けたはずだ。彼がロープ一本でビルをよじ登り、エレベーターにぶら下がることができたのは軍人ゆえだろう。そうした歴戦の英雄がフェンスにかけたロープの回収をうっかり忘れるものだろうか。そもそも人が往来する白昼に、周囲を建物に囲まれたビルをよじ登るのもおかしい。誰かに目撃されないはずがないのだ。これで完全犯罪が完成したら、パリ市民は極端に視力が低下していたことになる。
ついでに言うと、街を彷徨するフロランスの足取りが少し速いような気がする。明け方に自分の顔を見て「老けたわ」と言うわりには元気が良ぎるのだ。もう少しゆっくりと、幽霊のように足を進めたほうが趣があったと思うのだ。
冒頭でフロランスは「愛してる」を繰り返したが、わずか30分で終わるはずの犯罪は男と女を崩壊に導いた。リノ・ヴァンチュラが演じるシェリエ刑事から「ジュリアンは懲役10年、5年で出られるだろうが、あなたは10年、いや20年かも」と告げられ、フロランスは「2人の愛のためにやったことよ。10年、20年、私はじわじわと老けていくのね。でも写真の中では彼と一緒よ」と呟く。現像液の中で漆黒に染まる自分とジュリアンの写真を見つめつつ、彼女はすべてを失った。愛情が強ければ強いほど人はもがき、破滅に向かうということだろうか。

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