新進脚本家が遭遇した不穏な時代の殺人事件
バートン・フィンク (1991年 ジョエル・コーエン監督)
コーエン兄弟の作品。監督はジョエル・コーエン、製作は弟のイーサン・コーエンが担当した。1991年度のカンヌ国際映画祭でパルム・ドール、監督賞、男優賞を受賞している。
1941年の米国。ニューヨークで成功した新進の劇作家バートン・フィンク(ジョン・タトゥーロ)がハリウッドの映画会社に招聘され、レスリングものの脚本を依頼される。老朽化したホテルに宿泊するが、一向に原稿が書けない。尊敬する大作家メイヒュー(ジョン・マホーニー)とトイレで出会い、彼が創作に苦しんでいる現実に直面する。
そんな中、隣室の物音についてフロントに問い合わせたため、隣人の保険外交員のチャーリー(ジョン・グッドマン)の訪問を受けるが、劇作への意欲を語るうちに2人は親しくなる。チャーリーとの会話は興味深く、バートンにレスリングについて教えを受けるが、それでも脚本が書けない。苦しんだあげく、彼はメイヒューの女性秘書オードリー(ジュディ・デイビス)に救いを求めて部屋に呼び、実はメイヒューの著作は彼女が書いていることを知らされる。その流れでオードリーと深い関係に結ばれるが、翌朝、彼女はベッドの隣で血まみれで死んでいた。
チャーリーに相談すると、「警察沙汰になるとキミの作家としての人生は終わりだ」と死体をどこかに運んでくれた。この一件でバートンは刺激を受けて一気に作品を書き上げ、「僕の最高傑作だ」と満足するが、ロス市警の刑事の訊問を受けるのだった……。
その後、刑事の射殺、火事、せっかく書き上げた自信作がボツにされるなどの映像が続く。ストーリーの細々とした説明は避けるが、観客はコーエン兄弟の不思議な世界に引き込まれるという仕掛けだ。映画人の豪邸のカラリと晴れ渡った空に対して、薄暗いホテルの中は真夏の熱気がムンムン。あまりの暑さに壁紙がはがれるあたりは、見ているこちらも体に接着剤を浴びたような不快な気分になる。
映画の舞台は41年。この年の12月8日、日本海軍がハワイ真珠湾を攻撃して太平洋戦争が勃発した。これによってルーズベルト大統領は英国のチャーチル首相から要請されていた欧州戦線の参加が可能なった。劇中で映画プロデューサーが軍服に着替え、日本海軍の攻撃を受けたためこれから出陣すると語ることからも分かるように、この映画は不穏な時代を背景にしている。不穏な時代に、なんとものどかなハリウッドの青天、そこに起きる理解を超えた事件、人間の苦悩、殺人鬼の正体と、116分の中にさまざまなドラマが展開する。パルム・ドール獲得はその密度の濃さゆえである。
ネタバレ注意
本作のストーリーをバートンの妄想とみる向きもいるが、そうだろうか。書けない男が秘書の死に動揺して隣人のチャーリーに相談。隣人が殺人鬼だと刑事から聞かされて刺激を受け、自信作を書き上げるも映画会社の社長にボツにされたという、現実めいた話として完結したほうがしっくりいく。
気になるのは旅に出るときのチャーリーの格好だ。帽子をかぶり赤系のネクタイを締め、革製の旅行かばんを持っている。刑事を射殺するときはこのかばんから銃を取り出す。
本欄の読者はすでにお気づきと思うが、冒頭の舞台挨拶の場面に同じような格好の男が出てくる。男は演劇の役者(たぶん主役)で、劇中で別れを告げていったん舞台の袖に引っ込み、バートンの横を通ってカーテンコールに応じる。カメラはその動きを捉えている。ほかの4人の出演者がバートンにほほ笑み拍手しているのに、男は一瞥しただけでそっぽを向いてしまう。この男のこの行動は、何度見ても不自然だ。
そこで考えた。この男は「使者」ではないか。「ロスに行ったら俺みたいな恰好のヤバい男と会うぞ」と暗示しているような気がするのだ。ということは地獄からの死者と言えるだろう。コーエン監督は映画の冒頭に主人公の選択の危うさを暗示していたということか。