「セブン」 血と腐敗臭が漂う残酷映像と「七つの大罪」の謎解き

血と腐敗臭が漂う残酷映像と「七つの大罪」の謎解き

セブン(1995年 デビッド・フィンチャー監督)

「羊たちの沈黙」以後、ハリウッドのミステリー映画は猟奇性を増した。「ハンニバル」(2001年)、「ソウ」(04年)、「消えた天使」(07年)、「ハングマン」(17年)など、数え上げたらきりがない。この「セブン」もそうした作品だ。
定年退職を数日後に控えたベテランのサマセット刑事(モーガン・フリーマン)と若手のミルズ刑事(ブラッド・ピット)が担当したのは、薄汚い部屋で超肥満男がスパゲティに顔を突っ込んで死んだ事件。死因は食べ物を無理やり食べさせられて胃が破裂寸前までふくらんだ状態で腹部を強打されたことによる内臓破裂だった。サマセットは上司の見立てに異を唱えて連続殺人の可能性を示唆。彼の予告通り、次にやり手のブルジョア弁護士が体の肉を切り取られた凄惨な死体で発見される。現場の床には血で書かれた「強欲」の文字が。まもなくサマセットは最初の被害者の体内に残されたプラスチック片を調べる過程で現場の冷蔵庫の裏に書かれた「大食」の文字を見つける。
弁護士の妻に殺害現場の写真を確認させたところ、壁に飾った上下絵画が逆であると知らされる。サマセットはミルズとともに絵を壁から絵画を外して内部をチェックするが、手掛かりらしきものはない。だが、絵が掛けられていた白い壁を鑑識用のハケでなでると、指紋がくっきり現れる。指のあとで「HELP ME(助けて)」の文字が浮かび上がる。この指紋からビクターという男の存在が浮上し、警察の特殊部隊が家宅捜索に投入されるのだった……。
ゴキブリが這う薄汚い部屋、雨がもたらす憂鬱感、一貫した薄暗い映像、劇場まで血が匂ってきそうな死体などフィンチャー監督らしい演出の中、サマセットは犯行の根底に「大食」「強欲」「怠惰」などキリスト教の「七つの大罪」が埋め込まれていることに気づく。この謎解きが最大の魅力だ。退職を控えたベテラン刑事が聞き込みとパトロールを専門にしていた経験の浅い新米刑事に捜査の見本を示すも大きな要素。殺害された弁護士の妻に写真を見せる際は「何かに気づくはずだ」と言って、ミルズにしつこく質問させる。ミルズのカネを使ってある男に謝礼を渡し情報を入手。この相手は重要捜査機関の一員。サマセットの捜査人脈の広さと人の使い方がスマートだ。例の壁をハケでなでるのもベテランならではの技術である。
こうした裏技によって謎解きの面白さが強調された。犯人が壁に残した「HELP ME」の文字は自分を逮捕して殺人から解放して欲しいとの意味もありそうだ。
サマセットは事件の広がりを感知し、スワットの出動の際、目的の男が犯人であるという見方に「ヤツには奥がない」と疑問を呈する。つまり、この物語は若きミルズとの対比によってサマセットを何でも見通せるスーパー刑事に描き、「神曲」や「失楽園」など文学作品がらみの発見をデコレーションに使って観客の驚きを誘発する仕掛けが施されている。ここに残酷な映像と悲惨なラストという、ヒットにつながる要素を加味した。贅沢な作りと言ってもいいだろう。

とはいえ、大雑把に分解すると宗教上の原罪に、目を覆いたくなるほど残忍な殺し方とサイコパスをミックスしただけ。実は単純なストーリーだ。大男は無理やり食わされて死亡、弁護士はみずからの肉体を切り取るよう強いられた。当然ながら犯人は精神異常者だ。とんかつに例えるなら、残酷な殺害方法という豚肉を七つの大罪のころもに包み、サイコパスの油で揚げてミルズの夫婦愛というキャベツを添えたもの。ラストが衝撃的なのでいまも傑作と呼ばれている。日本でこの種の脚本を書いたら、「地獄道」「餓鬼道」「畜生道」「阿修羅道」「人間道」「天道」の六道を引用することになるのだろうか。アメリカナイズされた日本人には受けそうもないが。
本作の公開から26年。日本でも多くの猟奇事件が起きた。酒鬼薔薇事件(97年)の犯人は中学生で、彼はその後手記を出版しメルマガで稼ごうとした。09年の島根女子大生事件では被害者の頭部を発見。15年に東京・中野区の女性劇団員を殺害した犯人は「LINEを交換して友達になりたかった」と幼稚な動機を明かしている。「人を殺してみたかった」という理由で犯行に及んだケースもけっこうある。ハリウッドの狂気に導かれて日本の犯罪者も異常化したのかもしれない。
物語の前半は残酷な殺し方をされた死体と文学を舞台とした謎解きだが、1時間を経過したころから派手なアクションが加わる。静から動に一転するのだ。だが刑事もの映画なのにドンパチはこの場面だけ。中心は刑事と犯人をつなぐ心理劇だ。どしゃ降りの雨が降り続き、それが観客の胸にジト~ッした閉塞感をもたらす。このあたり、いかにもフィンチャーらしい演出。というより、フィンチャーのファンが喜ぶ映像だろう。

ネタバレ注意

物語のラストで犯人のジョン・ドゥ(ケビン・スペイシー)が警察に自首し、ミルズの妻トレイシー(グウィネス・ケイト・パルトロー)を殺害したことが判明する。怒りと絶望で混乱したミルズはサマセットの制止もきかず、ドゥを射殺して終わる。公開時に映画宣伝マンに聞いた話では、製作側はミルズだけでなく、サマセットが撃ち殺すバージョンも撮り、一般のモニターに見せてどちらの結末がいいか意見を聞いたという。また、ケビン・スペイシーはオープニングのクレジットに自分の名前を掲出しないよう要求した。まあ、冒頭で彼の名前を見たら、誰もが「犯人はケビン・スペイシーだな」と気づいてしまうだろうから、賢明な判断だったといえる。本作の高評価の半分はケビン・スペイシーのエキセントリックな演技のおかげだろう。
気になるのはサマセットがFBIから図書館の閲覧情報を受け取る場面。これが事実なら、米国の官憲は01年の「9・11同時多発テロ」の前から市民の読書傾向を密かに調べていたことになる。日本でもすでに同じことが起きているのだろうか。

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