殺害の音声を入手した盗聴屋に取りついた罪悪感と妄想
カンバセーション…盗聴…(1973年 フランシス・フォード・コッポラ監督)
1974年のカンヌ国際映画祭パルムドールを獲得したコッポラ監督の意欲作だ。全編を流れるピアノの主題曲が秀逸。耳に残るのだ。
主人公はサンフランシスコの大物盗聴屋ハリー(ジーン・ハックマン)。ある日の昼下がり、彼は広場を歩き回るマーク(フレデリック・フォレスト)とアン(シンディ・ウィリアムズ)の若きカップルを盗聴する。アンは既婚者で2人は不倫関係だ。ハリーはスタン(ジョン・カザール)ら仲間の協力で盗聴に成功。盗聴テープを依頼人である企業の専務に届けるが、秘書のステット(ハリソン・フォード)から専務は不在だと告げられる。ステットはテープを預かろうとするが、ハリーは小競り合いの末これを持ち帰り、仕事場で特殊な機械を使って音声を精査。すると「彼は僕らを殺す気だ」というマークの怯えた声が出現する。ハリーは殺人の予感に動揺するのだ。
そんな折、ハリーはサンフランシスコで開かれた盗聴・盗撮機器の見本市を見学する。夜になり、同業者のバーニー(アレン・ガーフィールド)と彼の女性アシスタントのメレディス(エリザベス・マックレイ)ら数人を連れて仕事場に戻り酒盛りをするが、バーニーがボールペン型の盗聴器で自分とメレディスの会話を聞いていたことを知ってプライドを傷つけられ、帰ってくれと言う。男たちは去っていくが、メレディスはその場に残って裸になり、簡易ベッドに寝転がったハリーの横に潜り込む。翌朝目覚めたハリーはオリジナルテープが盗まれたことに気づくのだった。
この映画に描かれているのは盗聴者の孤独だ。盗聴界の権威であるハリーは1件の仕事で1万5000㌦という破格の報酬を得ているが、他人の秘密を探る仕事ゆえに危険も多いのだろう。アパートの自室のドアは鍵を3重に仕込んでいる。恋人の家に行き、家賃の援助はするが、彼女に自分がどこの何者で、どんな仕事をしているかは一切明かしていない。
劇中でアナログ時代の最新鋭の盗聴テクニックが披露される。今でこそテレビで“盗聴バスター”の活動が紹介されているが、70年代はまだ盗聴という概念は一般的でなかった。筆者は本作を初めて見たとき、盗聴機の見本市が存在し、大勢のプロが詰めかける光景にビックリさせられた。
同業者のバーニーは68年にハリーが司法長官の依頼でトラック組合の議長と会計係を盗聴したことを誇らしげに語る。盗聴は成功したが、その結果、会計係は妻子とともに体毛を全て剃られ、頭を切り落とされた惨殺死体で発見されたという。バーニーは殺された犠牲者に同情するどころか、ハリーの仕事をうれしそうに語る。まさに非情のライセンスだ。
ただ、ハリーはこの殺人によって盗聴屋の苦悩を抱えており、それが本作のテーマとなっている。夢の中でアンを助けようとし、目覚めても妄想に取りつかれる。その挙句、アンとマークが密会するホテルに出かける。
公開時、テレビの映画紹介コーナーで本作が紹介され、トイレの便器から大量の血が逆流、床にあふれるショッキングな映像が流された。こうした血なまぐさい光景のどこまでが真実でどこまでが妄想なのかは判然としない。その曖昧さが難解好きなカンヌの審査員を引きつけたのだろう。
このころのコッポラ監督は1972年に「ゴッドファーザー」でアカデミー賞作品賞など賞を総なめ。74年は「ゴッドファーザーPARTⅡ」でまたもアカデミー賞を総なめし、同時にこの「カンバセーション」でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した。破竹の快進撃だった。
ちなみに秘書のステットを演じたハリソン・フォードはまだ32歳だった。笑っちゃうほど若い。アゴの傷は今よりくっきり刻まれているような気がする。
蛇足ながら
本作にはいくつか整合性の取れない部分がある。その最たるものがハリーの警戒心と油断だ。ドアの鍵を3重にし、恋人にも自分の正体を話さないほど警戒心の強い男が、見本市の夜に同業者や政府関係者を仕事場に招き入れて酒を飲み、自由に歩き回ることを許す。この行動は明らかに矛盾している。しかもメレディスがいる場で例のアンとマークの会話を再生する。依頼主に渡すことさえためらっている音声をスピーカーで流すのはおかしな行為だ。その上テープを盗まれてしまった。間抜けすぎるではないか。
バーニーが語る司法長官の依頼が原因でトラック組合の会計係が殺された事件で思い出すのが「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(84年)だ。この映画はトラック労組の委員長が主人公のヌードルス(ロバート・デ・ニーロ)らギャングの協力を最初は拒絶していたが、暴力を使ったほうが問題解決が早いと気づいて彼らと結託するストーリー。しかもヌードルスの仲間のマックス(ジェームズ・ウッズ)はギャングの過去を消して国家の要職のベイリー長官に出世していた。
トラック労組の委員長では実在したジミー・ホッファが有名だ。ホッファは長年、マフィアと結託して不正行為に手を染めていた。本作の会計係とその家族が首を切られて殺された話はそうした事実を踏まえているのだろう。ハリーが殺人に責任を感じているのは、ギャング絡みの犯罪にはからずも協力してしまったことを後悔しているからだ。
ネタバレ注意
この映画の結末はハリソン・フォードの妄想を交えて事件を描いている。魅力はラストのどんでん返し。終盤で姿を現すアンの夫の専務(ロバート・デュバル)がマークとスタットによって殺された上に交通事故死に細工されたということになる。
だが現実問題として、血まみれ死体を運んで事故死に見せかけることができるだろうか。千葉県警ならともかく、サンフランシスコ市警の目をあざむくのは至難の技だろう。なんだか安直な仕掛けという気がし、「まさかそういうことじゃないよな」などと考えているうちに混乱して、話の落ちが分からなくなるのだ。
広場でホームレスに同情していた優しきアンが、遺産を引き継ぐ未亡人として記者に囲まれるのをハリーは複雑な表情で見つめ、自身も罠に落ちたことに気づく。彼は「盗聴してるぞ」と警告され、カーテンを外して盗聴器を探す。壁紙をはがし、床板までも引っぺがす。それでも盗聴器は見つからない。盗聴屋が盗聴されたという皮肉。彼はボロボロに壊れた自室の椅子に座り、レコードから流れるジャズに合わせて空しくテナーサックスを吹く。サックスの中はチェックしたのかな?