「アパートの鍵貸します」 重役に"ヤリ部屋"を提供する平社員の恋の行方は?

重役に"ヤリ部屋"を提供する平社員の恋の行方は?

アパートの鍵貸します (1960年 ビリー・ワイルダー監督)

上司や重役を利用してとんとん拍子に出世する映画といえば、日本では1960年代にヒットした植木等の「日本一」シリーズが有名だ。口八丁手八丁でお偉いさんに取り入り、ときに自分の生き方を貫いて戦線を離脱しながら、これまた成功する。松田優作主演の「蘇える金狼」(79年)は一見無能の主人公が格闘技と射撃の腕前を駆使して重役たちの犯罪に協力。逆に命を狙われるが、それをバネにしてカネと権力を獲得するピカレスクロマンだった。どちらもサラリーマンにとって憧れの存在といえようか。
この「アパートの鍵貸します」(原題は「The Apartment」)は、大手保険会社の平社員バド(ジャック・レモン)が会社の幹部たちに自分のアパートを時間貸しするコメディー。幹部連中はOLとの浮気密会に使っている。いわゆる"ヤリ部屋"だ。バドは金銭的な見返りは求めず、幹部に唯々諾々と従い、急な求めに応じて寒い夜中に部屋から閉め出されることも。公園で時間をつぶして風邪をひくなどさんざんな目にあっている。
その一方で彼は社内のエレベーターガールのフラン(シャーリー・マクレーン)に恋心を抱いてるが、気持ちを打ち明けられない。部屋を貸す代償として人事部のシェルドレイク部長からミュージカルのチケットをもらい、フランを誘うが、彼女は劇場に現れなかった。実はフランはシェルドレイクの愛人で、彼の「妻と離婚する」という言葉を信じて食事に付き合い、バドとの約束をすっぽかしたのだ。
そんなバドに幸運が巡ってきた。シェルドレイクに部屋を貸したことで見返りとして課長補佐に抜擢されたのだ。憧れの個室をもらい、有頂天になるバド。クリスマスの日に社内で開かれたパーティーでフランをエスコートするが、彼女はシェルドレイクの女性秘書から、彼が女たらしでこれまで社内の女性たちに手をつけ、「離婚する」などと甘い言葉を吐いて関係を続けては最後にポイ捨てしてきた事実を聞かされる。この秘書も被害者だった。
そうした中、バドはフランがシェルドレイクの愛人だと気づき、失望する。さらに帰宅すると、自分の部屋でシェルドレイクと密会したフランが睡眠薬を15錠飲んで自殺を図り昏睡しているのを発見。バドは隣室の医師ドレイファスを呼んで蘇生措置をしてもらうのだが、その際も医師に対して自分がアパートの部屋を貸しただけであるという弁解をしない。
バドのおかげでフランは命を取り留めたが、帰宅しないことを心配した義兄が押し掛け、バドの頬を一撃。それでも彼は罪をひっかぶるのだった。やがてシェルドレイクにクビにされた秘書が彼の妻に告げ口したことで、フランとの関係が思わぬ事態に進むのだった。
「ノー」と言えないお人よしの青年は、他人をかばったため顰蹙を買う。専門学校は出たが単語のスペルが苦手なため秘書になれなかった21歳のエレベーターガールは、男運の悪さを噛みしめながらもシェルドレイクを忘れられない。そのシェルドレイクは「女は週に2、3回会っただけで離婚しろと騒ぐ」と笑い飛ばす。
こうした三角関係は現代日本のあちこちの職場で起きている。男にとって若い愛人は“都合のいい女”であり、そうした演歌型の女に同情して恋慕する男も存在する。だから公開から60年以上経った今も、本作の悲喜劇が観客の胸に響くのだ。
おまけに隣人のドレイファス医師は事情を知らないため、バドが毎晩女性を取っ替え引っ替えしていると勘違い。その妻はバドがフランを傷つけたと思い込んで敵意をむき出しだ。大家の女性もフランの自殺未遂の件で床がドタバタしたと文句を言うなど、バドの周囲の無理解も本作のコミカルな演出を補強している。ドレイファスの親切な対応を見ると、米国人ながらやはり「医は仁術なり」なのだと、なんだか気持ちが温かくなってくる。この医師とのやり取りも本作の面白さ。注意して見てもらいたい。
本作を一言で表現するなら、男の純愛をビリー・ワイルダー風のユーモアで味付けした青春映画。さえない男は他人に迷惑をかけることを拒み、周囲に波風を立てないよう生きている。それでも出世への夢は抱いており、実力の足りない分を重役たちの言いなりになることで補っている。あと一歩でフランの気持ちをつかむことができる場面でも遠慮してしまう。要するに生き方がヘタなのだ。
米国のビジネスマンといえば、要領よく立ち回り高額の年俸を手にする頭のいいヤツというイメージがある。本作のバドはそうした集団から見れば落ちこぼれだろう。ただ、こうした独創的なキャラであるがゆえに米国で受け、日本でも受けたのだろう。

ネタバレ注意

「蘇える金狼」は主人公が社長らの弱みを握って大株主になる話だった。一方、本作のバドは重役級まで出世しながら、その地位をあっさりと手放す。彼の決断を惜しいと思うか、それとも好きな女と結ばれた珠玉のハッピーエンドと思うかは人それぞれだろうが、トランプカードを切りながら「愛してる」と言うバドに、フランが「黙って配って」と答える結末はまことに秀逸。シャーリー・マクレーンの15秒間にわたるほほ笑みがひたすら美しい。筆者はこの15秒間は本作を見終えた観客へのご褒美だと思っている。泣けるのだ。
昔の映画ファンは「ヨーロッパ映画に比べて、米国映画はあっさり終わるので余韻が残らない」と論評したが、この映画の結末はあっさりの中に観客の心をときめかせる何かがある。まるで「この世はカネや名誉ではないのだ」と語りかけてくるようだ。
ちなみに公開時、ジャックレモンは35歳、シャーリー・マクレーンは26歳だった。

蛇足ながら

本作の登場人物たちがバドに密会の場を借りる姿を見て、「米国って不便な国だなぁ」と思った人もいるだろう。
大手保険会社の重役はみんな破格の高収入のはずだ。シェルドレイクなどはクリスマスに「ワニ革のバッグでも買いなさい」とフランに100ドル札をぽんと渡す。当時のレートで3万6000円。1960年の日本の大卒初任給の平均は1万3000円だから、本作を見た観客はため息をついただろう。ちなみにこの60年に池田勇人内閣によって所得倍増計画が策定された。そんなリッチマンの重役たちも女性とエッチする場所には不自由している。だからバドに頼るわけだ。
米国に詳しい人に聞いたら、かの国には日本のあちこちにあり簡単に入れる温泉マーク(連れ込み宿)がない。だから誰かの部屋を借りるのだと説明された。日本には昔から連れ込み宿があり、さらに60年代後半からラブホテルが増え、モーテルという業態も生まれた。日本ではモーテルというと男と女が密か事を行う場所と決まっているが、米国ではクルマの旅行者が泊まる宿泊所。69年の映画「イージー・ライダー」ではバイクでモーテルに立ち寄った主人公2人がヒッピーであるため宿泊を断られる場面があった。筆者はこのシーンを見て、日本と米国のモーテルは全然違うのだと知った。
70年代のことだが、元朝日新聞記者の本田勝一はこうした日本の事情を知らず、取材の際に男性の仕事仲間とモーテルに泊まったため、後日「自分たちは同性愛者と間違われただろう」と自嘲したとのエピソードを著書に書いていた。米国のモーテルと混同したわけだ。

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