「手討」 皿屋敷の怪談と武家社会の不条理から見る女の不遇の時代

皿屋敷の怪談と武家社会の不条理から見る女の不遇の時代

手討(1963年 田中徳三監督)

夏の風物詩ともいえる怪談話。日本人に一番なじみが深いのは「四谷怪談」だろう。次によく知られているのは歌舞伎や講談で演じられた怪談「皿屋敷」ではないだろうか。本作は岡本綺堂が「番町皿屋敷」として小説化した作品を、脚本家の八尋不二が脚色した。悲恋と武士道残酷の要素で構成。セリフがよく練られている。藤由紀子がとてつもなく美しい。音楽担当はあの伊福部昭だ。
天下太平の明暦2(1656)年の江戸。三千国の大身の旗本・青山播磨(市川雷蔵)は女中の菊(藤由紀子、本作では藤由起子)を愛し、妻に迎えようと考えていた。菊が豆腐屋の娘ということで女中たちは嫉妬の目で彼女を見ている。播磨の周辺には血気盛んな旗本奴が集まり、彼を慕っていた。播磨の屋敷には神君徳川家康から贈られた高麗の皿5枚が家宝として伝わり、側用人をはじめ家の者は傷つけぬよう細心の注意を払っている。
そんなある日、仲間の一人の新藤(若山富三郎、本作では城健三朗)が前田加賀守(名和宏)の上覧能の最中にあくびをしたため切腹を命じられる。老中松平伊豆守(柳永二郎)ら重鎮は、加賀守が激怒し、切腹させなければ兵を率いて押し掛けると息巻いていることを憂慮。加賀守をはじめ他の外様大名連中を敵にまわすことを避けるため、「徳川という大の虫を生かすためには小の虫を殺さねばならぬ」との論法を緩めない。
新藤を救おうと、老齢の大久保彦左衛門も播磨を引き連れて説得にあたるが不首尾に終わる。そのため新藤は旗本の仲間と加賀の藩兵が向かい合う中、加賀藩の屋敷前で堂々と立ち腹を切って果てる。
この事件をもって旗本奴は「白柄組」を結成、町奴らを相手に喧嘩に明け暮れるが、播磨だけは彼らの行動を良しとせず、距離を置いていた。だが彼らが慕っていた彦左衛門が病死したこともあって、若者たちの気持ちはやさぐれていく。そんな折、白柄組の面々が加賀藩の行列に遭遇。新藤の命を奪われたことを恨みに思う白柄組の者たちは馬で疾走し、相手の藩士や小物を叩き伏せる。播磨は遠くから傍観していたが、仲間の危急を見捨てられず救出。
このことでさらに幕府と加賀藩=外様大名の間に亀裂が生じたため、老中らは頭を抱え、解決策として播磨を加賀藩と縁戚の鯖江藩5万石の姫と見合いをさせることに。屋敷において播磨が見合いすることを知った菊は、周囲の女中たちの心無い噂話を真に受け、心が乱れる。そのあげく家宝の皿を柱に打ちつけて割るのだった。
八尋は原作にないあくび・切腹話を加えた。幕府と加賀百万石の外様大名という微妙なパワーバランスをうまく使い、一般のサラリーマンにとっても切実な人間関係の不条理を突きつけた。老中たちが言う「子飼いの者」を犠牲にすることで波風を防ごうというわけだ。あくびとはレベルが違うが、森友問題の公文書改ざんで自死した財務省職員を思わせる。彼はもっとエゴイスティックな人間の生贄にされたわけだが、悲劇の原因が政府という権力だったとの共通点がある。本作の元凶は幕府の思惑である。
八尋の脚本が播磨をより愛情深く描いた点も注目だ。原作の播磨は自分が手討ちにした菊の死後、暮らしが乱れ、喧嘩に明け暮れて屋敷の井戸に菊の亡霊を見るが、映画は悲しき純愛物語として完結する。
本作は「切腹」(62年)や「武士道残酷物語」(63年)に通じる武士道の非情を描いたジャンルの一角にあり、人間の愚かさに貫かれている。恋しい男の気持ちを確かめたくて皿を割る女の浅はかさ、外様大名を懐柔するために婚姻を押し付ける老中ら重鎮の思惑、菊が皿を割ったと告げ口する女中の底意地の悪さ。そして、たかが皿一枚で恋人を手にかけざるをえない時代状況……。
日本の怪談に出てくる幽霊の大半が女なのは女性が封建的男性社会の犠牲者だったからといわれる。本作でも菊は身分制度という不条理の中で苦しむ。主に捨てられたら女中のわが身はどうなるのかという焦り。ロートレアモンではないが、「憎悪と復讐、愛と悔恨」の中で女の情念を燃やして自滅する。しかも、いったんは主である播磨に許されながら、おせんという女中の告げ口によって成敗を受けるのだ。このあたり、女の嫉妬の使い方もうまい。

ネタバレ注意

播磨は鯖江藩の姫との見合いの席で、この婚姻を受けていいのかと逡巡する。白柄組を守るためには伊豆守の要請に従って嫁にもらうのが最善の策だ。だが彼の胸には菊への思いが去来する。悩んだ末に彼は姫の入れた茶を茶器ごと投げ捨てその場をあとにする。このような無礼を働いて無事にすむはずはない。おそらく彼は見合いに臨む前から死を覚悟し、仮に処罰が軽くても家は取り潰しになるだろうと考えていた。だが見合いから帰宅した彼は菊に心配をかけまいとして明るくふるまう。
一方、菊は女の悋気にかられ、播磨が自分と大身の姫御前のどちらを取るかを試すために高麗皿を傷つけた。これによって播磨は菊を成敗する局面に追い込まれ、同時に書状によって幕府に切腹する意向を伝えた。彼らの運命を決めたのは幕府の保身ともいえる政治的判断であり、女中の告げ口がとどめを刺して死出の旅に向かわせた。視点を変えれば親友の新藤があくびの粗相をしでかしたため、播磨と菊の運命の歯車が狂ってしまった。人間の運不運はほんの些細なことで大きく転換してしまうわけだ。
霧がたゆたう中、播磨は死出の覚悟を決める。ふと見れば屋敷の中には菊の亡骸。「菊、待っておれよ。いまわしが手を引いていってやる」と語りかける播磨の声が実にいい。この映画はすべてのセリフが時代劇として洗練されている。
市川雷蔵に漂う悲壮感と藤由紀子の美しさに、映画「陸軍中野学校」(66年)の結末を思い浮かべた人もいるだろう。この映画ではアジア太平洋戦争中、中野学校を出てスパイになった主人公・三好(雷蔵)が婚約者の雪子(小川真由美)を毒殺する。「この美しい顔、この美しい体。思わず私は目をそむけた」という雷蔵の語りの物悲しさが、本作の菊への言葉に乗り移ったようだ。抑揚を殺した声のトーンが悲劇性を高めた。雷蔵は他の時代劇作品などでコミカルな雰囲気の役も演じているが、やはりこの種の悲壮感を漂わせる役が一番だ。

蛇足ながら

本作のヒロインを演じた藤由紀子は65年に人気俳優の田宮二郎と結婚、引退した。引退後は田宮の本名の柴田姓を名乗り、78年12月に田宮が自殺したあともこの名を通している。
筆者はその柴田さんに3度会ったことがある。最初は2000年。ある飲み会で、柴田さんとして紹介されたのだ。そのときは田宮二郎の元妻であることを知らず、彼女もそんなことはおくびにも出さないまま普通の気さくな奥さんという感じだった。冗談を言うとよく笑ってくれた。
その年の暮れ、筆者がちゃんこ鍋の飲み会に5歳の娘を連れて参加したら、そこにも柴田さんがいた。娘が「こんにちは」と挨拶すると「あら、えらいわね~」と感心した様子で、「あなた、しっかり育ててるわねぇ」と筆者をほめてくれた。
3年後、テレビで「白い巨塔」(フジテレビ、唐沢寿明主演)がヒットした。ある月刊誌が78年版の「白い巨塔」で主役を演じた田宮二郎の特集をしたいという。仲のいいノンフィクション作家から「知り合いに田宮二郎の元スタッフはいないか? 誰でもいいから田宮二郎を知ってる人に会いたい」と相談された。
「田宮二郎の元スタッフは知りませんが、奥さんとなら少し面識ありますよ」
「何っ、奥さんと知り合い。すぐに会いに行こう!」
彼は血相を変えて飛んできた。
筆者と彼と月刊誌の編集デスクの3人で柴田さんを待ち伏せする恰好で会いに行き、編集デスクが企画趣旨を説明した。柴田さんは「もう田宮の靴も捨てました」と言って丁重に断った。その際、筆者の腰のあたりをポンと叩いて、
「お嬢ちゃんをちゃんこ鍋会に連れて来るなんて、あなたはしっかり子供の面倒を見ている。本当に立派よ。田宮はそんなではなかった……」
と、またもおほめの言葉をくださった。
それ以来、筆者は行きつけの理髪店のおばさんに、
「オラは田宮二郎より良いパパだとほめられたんです。えっへん!」
と自慢し、それは理髪店が閉店するまで続いた。
柴田さんとは10年ほど前に彼女から電話をいただいたのが最後の連絡となっている。来月で79歳。いまもご存命のようだが、元気で暮らしているのだろうか。

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