シェルブールの雨傘

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戦争に引き裂かれた男女、聖夜の再会

シェルブールの雨傘(1964年 ジャック・ドゥミ監督)

筆者は別れの映画が好きだ。最初に男女の別れで感動したのが米国映画「おもいでの夏」(1971年、ロバート・マリガン監督)だった。童貞の少年が夫を戦争で失った美しき人妻とレコード音楽に合わせて踊り、ベッドに誘われる結末に甘酸っぱさを感じたものだ。この作品の主題曲を作曲したのがミシェル・ルグラン。ルグランの代表曲が今回紹介する「シェルブールの雨傘」だ。本作も別れの映画。しかもセリフがすべて歌で構成された完全なミュージカルである。当時21歳だったカトリーヌ・ドヌーブの出世作としてあまりにも有名だ。
アルジェリア戦争のさなかの1957年。フランスの港町シェルブールに住む20歳の自動車整備工のギイ(ニーノ・カステルヌオーヴォ)とジュヌビエーブ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は結婚を誓い合った恋人同士だ。ギイには年老いた伯母がいて、マドレーヌ(エレン・ファルナー)という女性が面倒を見ている。
一方、ジュヌビエーブは母のエムリ夫人(アンヌ・ヴェルノン)と2人で小さな傘店を経営している。エムリ夫人は娘がまだ若いという理由で結婚に難色を示しているが、ギイとジュヌビエーブは将来、自分たちの間に女の子が生まれたらフランソーズと命名しようと約束する。
そんな折、エムリ夫人に多額の納税通知書が届き、金銭に余裕のない彼女はジュヌビエーブとともに手持ちの貴金属を売却すべく宝石店に。ここでカサール(マルク・ミシェル)という宝石商と知り合い、高値で買い取ってもらう。まもなく若い2人に不幸が訪れる。ギイに召集令状が届いたのだ。その夜、2人はギイの部屋で男女の契りを結び、ギイは戦場へと旅立った。
戦地に行ったギイから手紙が届かない。心配するジュヌビエーブは自分が妊娠していることを知って動揺する。そんな中、例の宝石商カサールが傘店に現れ、エムリ夫人の食事の招待を受ける。食事の席でエムリ夫人に「お嬢さんと結婚したい」と申し込むカサール。ジュヌビエーブが妊娠中であることを承知で結婚したいというのだ。
エムリ夫人は娘の幸せを考えてジュヌビエーブにカサールと結婚するよう説得。ジュヌビエーブはこれを拒否してギイを待ち続けるつもりだったが、結果的に母に従ってカサールと結婚、シェルブールを去って行く。
翌年、足を負傷したギイは帰還し、妊娠したジュヌビエーブが結婚したことを知って自棄になり、酒浸りの日々に。あやしげな酒場女に手を出すようになり、叔母の病死でさらに失意のどん底に沈むギイ。そんな彼を見かねたマドレーヌの助言によって彼は生きる張り合いを取り戻し、彼女と結婚して小さなガソリンスタンドを開業。経営に成功する。
数年後のクリスマスの夜。雪の降る中、偶然にもジュヌビエーブが給油のために立ち寄り、2人は再会する。クルマの助手席には美しい幼女が。雪の降る夜、2人はキスもせず別れを告げるのだった。
将来を誓い合った男女が戦争によって引き離され、妊娠した女が金持ちの紳士の申し出を断り切れず、結婚する話だ。アルジェリア戦争は54年から62年まで続いた独立戦争のこと。フランス人は130年の長きに渡ってアルジェリアを植民地支配し、彼らアルジェリア人を「ネズミ」と呼んで侮蔑した。これに対してアルジェリアのレジスタンスが抵抗を続け、最後はフランスが敗北。その経緯は映画「アルジェの戦い」(69年、ジッロ・ポンテコルヴォ監督。ベネチア国際映画祭グランプリ受賞)に描かれている。
アルジェリ独立戦争はフランス史の汚点ともいわれる。そんな愚かな戦争によって恋人との仲を引き裂かれるとはまさに悲劇。日本でもアジア太平洋戦争では同様の悲劇が起きた。一部の映画では兄が許婚の女性を弟に託し、「彼女を美しいままにしておいた」と言い残して戦死する美談風のアレンジが施されていた。日本人らしいカタルシスだ。
本作のジュヌビエーブの行動については昔から「身勝手だ」という批判の声があがっている。恋人が戦死したという知らせも受けていないのに、早々と見限って第三の男の妻になるのは薄情すぎるというのだ。たしかにその言い分は正しい。だが周囲を見回してもらいたい。若い娘を持つ母親は結婚問題では盲目的になるものだ。ジュヌビエーブの場合はギイと音信不通のとき目の前に金持ちで人柄のいいカサールが現れた。こうした場合、母親は相手がよほどの悪人やDV男でないかぎり、金持ちの男を選ぶ習性がある。それこそが「盲目的な母親の愛情」だ。そして娘は母親に従ってしまう。こうして女は変心する。本作のように変心がドラマを生む。筆者も同じような経験がある。恋人を長らく待ち続けるのは「ブーベの恋人」(63年)のクラウディア・カルディナーレくらいだいだろうか。
そもそもジュヌビエーブは妊娠している。ここがポイントだ。妊娠した女性にとって一番大切なのは無事に子供を産み、育てることだ。つまり妊娠した女性ほど弱いものはない。恋人がそばにいない、誰が自分を守ってくれるのかという不安に襲われたとき女は頼もしい男に運命を委ねようとする。ジュヌビエーブの変心は子を宿した女の宿命なのである。

ネタバレ注意

ラストのガソリンスタンドの再会シーンは歌のセリフで表現するためか、あっけなく終わる。そのことにも以前から不満を吐露する観客が存在する。ロバート・レッドフォードとバーブラ・ストライサンドの「追憶」(73年、シドニー・ポラック監督)では街頭で再会した男女が挨拶を交わしていったん別れたあと、男の「諦めないんだな」という言葉とともに抱き合う。このシーンに比べると「シェルブールの雨傘」のラストは素っ気ないかもしれない。だが、「追憶」と違って車中にはギイの実子である女の子がいる。しかも名前は「フランソーズ」だ。ここにジュヌビエーブの思いがにじんでいる。
彼女がクルマで立ち去ったあと、マドレーヌと息子が戻ってくる。雪の中で息子と戯れるギイ。ユーモラスな光景だが、そこには運命の悲しさがある。あの戦争さえなければ、ギイは息子ではなく、フランソーズと雪をかけ合って遊んでいただろう。マドレーヌと結婚して息子に恵まれた現在が幸せなのか、それともジュヌビエーブとともにフランソーズを育てたほうが良かったのか……。その問いかけの答えを観客に託したまま、雨降る街の風景で始まった物語はホワイトクリマスで幕を閉じるのだった。

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