素敵な人生のはじめ方

男と女が勇気を与え合う大人のドラマ

素敵な人生のはじめ方(2006年 ブラッド・シルバーリング監督)

モーガン・フリーマンが主演と製作総指揮を務めた意欲作だ。
映画出演から遠ざかって4年になる有名俳優(M・フリーマン)が若い撮影スタッフの運転するクルマで新作の役作りのためにロス郊外のスーパーを見学する。これから演じる店長の仕事ぶりや店内の人間関係などを観察するわけだ。店内では頭はいいが気の強いスペイン系移民の女性店員スカーレット(パス・ベガ)がレジ係を担当。もう一人のレジ係のロレイン(アン・デュデック)と険悪なムードなのは、彼女がスカーレットの夫を寝取ったせいだ。ロレインはレジスターの前で足の指にネイルを塗るなどすっかりさぼりモードである。
1時間ほどして俳優は帰宅しようとするが、迎えのクルマが来ない。そこでスカーレットのクルマで自宅まで送ってもらうことに。実は彼女はその日の午後に大手建設企業の面接試験を控えていた。俳優は彼女に新しい洋服を買い与え、面接のリハーサルを試みるのだった……。
スカーレットは、迎えが来ず俳優組合とも連絡が取れない彼を見捨てておけず、手を差し伸べる。ツンケンした性格のようで、実はお人好しな部分もある。だが、自分のクルマを別居中の夫の家に取りに行くと、そこにはロレインの姿が。しかもロレインは「妊娠した」と勝ち誇ったように言う。スカーレットは彼女と罵り合い、夫にタックルしてボコボコにしたあげく、ロレインのクルマに追突してこれもボコボコにする。このあたりはいかにも米国的な展開で小気味良い。
見終わって爽快感にひたれるのは人間の変化の物語だからだ。他人と打ち解けるのはうまいが、久しぶりの映画出演に乗り気でない老年の男。貧しい境遇から抜け出したいと願っている男運の悪い女。どちらも孤独を抱えている。役者はスカーレットに下心のない自然な興味を覚え、軽食を取りながら、好きな物と嫌いな物を10 個ずつ挙げてみなさいと言う。こうした会話の中で「キミは25歳だが老人のようだ」と欠点をずばりと指摘する。年上の男の嫌みのない助言によってスカーレットのトゲのある雰囲気が穏やかになり、微笑みに染まっていくのが見どころだ。
要するに、人生経験が豊富なとっつぁんがコンプレックスを取っ払い、逆境に身を沈めている女に柔和な笑みを取り戻させる話。南米系の客しかいない、うらぶれた雰囲気のスーパーから始まった物語だからこそ、後半に見られる美女の立ち直りが輝いてくる。見事なコントラストだ。
こうして俳優は映画出演に前向きになる。スカーレットと一緒に過ごした数時間で彼女を励ましたが、実は自分も逆に励まされていた。スーパーのレジ打ちが大企業の秘書に採用されるはずがないと諦めていた女をその気にさせ、その働きかけが反作用となって自分に息吹を与えたわけだ。最初のとっかかりは俳優という立場から興味本位にスカーレットに声をかけただけだが、思わぬところで勇気を得たことになる。俳優がスカーレットに言う「勇気を持て」という言葉は実は自分自身に語りかけていたのだろう。
初対面の男女がわずか半日で打ち解けるのは出来過ぎな気もするが、世の中には自分を日のあたる場所に導いてくれる男を待つ女が存在する。俳優の淡々とした言動は職場のOLを励ますとかキャバ嬢の歓心を買うとか、さまざまな場面で応用できるだろう。終盤に流れるポール・サイモンの「ダンカンの歌」、無言のエンディングなど、これぞ大人のドラマである。
ネタバレになるが、ラストは車内で2人が互いを見つめ合うシーン。スカーレットの長い指が役者の頬に触れる。ポール・サイモンの歌声が響く。男と女はキスもしない。だが女は彼に心を寄せている。これから2人はどうなるのか……などと野暮な詮索をしてはならない。ただ見つめ合い。ただ終わる。それだけのこと。だけど心に残る。心にズズ~ッと突き刺さるのだ。

蛇足ながら

日本の映画人はひところ、「最高の人生のつくり方」(2014年)や「最高の人生のはじめ方」(12年)、「新しい人生のはじめかた」(08年)など、外国映画の邦題に「人生の」を盛り込んで客を釣ろうとした。おそらく観客は「人生」の二文字に何か自分に勇気と救済を与えてくれるものがあると期待したのだろう。そうした安直な邦題が乱立し、映画ファンが「けっ、またかよ」と顔をしかめる中、本作は小品ながら珠玉の名作だった。
モーガン・フリーマンは「最高の人生の見つけ方」(07年)で、他人の財布で豪勢な世界旅行を楽しむ男を演じた。この作品はヒットし、評価は高い。だが、しょせんは人生の最後で金に飽かして贅沢を楽しむという安直な展開。いかにもアメリカ映画な展開には鼻白む気分だった。なるほどと唸ったのはジャック・ニコルソンが孫娘から接吻を受ける場面くらいだ。それなのに、日本映画界は19年に吉永小百合と天海祐希を起用して女性版「最高の人生の見つけ方」を生み出した。どういう神経なのか。
この「素敵な人生のはじめ方」のあと、モーガン・フリーマンが「最高の人生の見つけ方」でカネに物を言わせて人生の味わい深さをでっち上げる米国人好みのストーリーに走ったのはちょっと残念。新自由主義に魂を売ったのだろうか?

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