パピヨン

ゴキブリ、ムカデを食べて地獄から脱出

パピヨン(1973年 フランクリン・J・シャフナー監督)

フランス人の囚人が流刑地から脱獄した実話を映像化した70年代の話題作。ジェリー・ゴールドスミスによる主題曲も大ヒットした。

実際のパピヨンとして苦難を経験した原作者のアンリ・シャリエールはこの映画の公開を楽しみにしていたが、完成前に病死した。シャリエールは1931年に殺人罪で終身刑を言い渡され、流刑となるが脱獄。ベネズエラの市民権を獲得した人物だ。
胸に蝶の入れ墨があるパピヨン(スティーブ・マックイーン)は殺人の罪などいくつもの罪を着せられ、南米ギアナでの労働刑に送られる。一緒に服役したのは国債偽造犯のドガ(ダスティン・ホフマン)。パピヨンは看守の暴力からドガを助けたことで独房に収監され、ドガは裏から手を回して彼に食料を届ける。2人は強い信頼で結ばれるが、逃亡の途中、警察に見つかったパピヨンはドガを置き去りにするのだった。
前半は流刑の過酷な実態を描き、後半で脱走に至る。囚人は金属製容器に持ち金を入れて肛門に隠し持つ。このカネを目当てに囚人を殺し、腹を引き裂くやからがいる。流刑地は雨が降り続いてマラリアが蔓延し、囚人は強制労働で次々と死亡。脱走を繰り返した者はギロチンで斬首だ。流刑になった者の半分が死亡する苛酷な条件。しかも川には大型のワニがいて、パピヨンはドガとともに捕獲を命じられ、悪戦苦闘させられる。
後半は裏切りと友情が交差し、めまぐるしく展開する。難病患者の島にたどりついたパピヨンは患者たちのリーダーの吸いかけの葉巻をふかしたことで気に入られる。別れの際にリーダーが「俺たちにカネは不要だ。女を買うくらいだから」と紙幣をくれる場面はラストシーンに次いで感動的だ。

だがその後は一見優しそうに見える教会のシスターを信用して真珠を渡したところ、官憲に通報されて逮捕。未開な現地人の追跡をかわしながらも、彼らの仕掛けた罠で逃亡者が胸を串刺しにされ、痙攣しながら息絶える場面は衝撃的だ。こうした血生臭い描写の中、一服の癒しのように裸族の村に到着。パピヨンは村の美女とつかの間の恋愛を楽しむ。公開当時に劇場で見てこの場面の海の美しさにうっとりさせられたものだ。だが最終的にパピヨンは島流しの孤島に送られ、そこでドガと再会する。ラストのパピヨンとドガの別れは名場面だ。

注目は地獄のような独房生活だ。パピヨンはココナッツの実を差し入れてくれたドガを密告せず、懲罰として食事を半減されて暗闇に閉ざされてしまう。生きるためにスープにゴキブリやムカデを入れて食べるシーンはゾッとさせられる。独房は囚人の人間性を破壊するのが目的で、所長が「沈黙」を強いるため静かに進行。ここは地味だが重要な場面だ。沈黙の監獄の目的は人間を自然に狂わせ、自然に死へと向かわせることだろう。所長や看守は自分たちの手を汚さず、囚人を殺せるわけだ。
ストーリーが無実を訴える男の反骨精神に貫かれているのは脚本担当がダルトン・トランボだから。ヒット作「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」(2015年)に描かれたとおり、トランボはハリウッドの赤狩りで仲間を売らなかったため窮地に追い込まれた。彼がロバート・リッチという偽名で脚本を書いていたことはよく知られている。トランボの権力に立ち向かう気骨がパピヨンに乗り移り、友人つまりドガを裏切らない強靱さを生み出したといえるだろう。

ネタバレ注意

前述したような囚人の思考能力を破壊し死に向かわせるシステムはトランボたち共産主義者への弾圧と共通している。トランボは仕事を失い、へたをすれば日干しになり餓死していたかもしれない。権力は仕事を奪って彼を追いつめた。まるで「勝手に自殺しろ」と言わんばかりだ。囚人を狂わせて自然死に向かわせるフランスの国家権力と、作家をジリ貧に追い込み野垂れ死にさせようとする米国の国家権力。トランボはこうした人権無視の世界をパピヨンの運命を通じて告発した。
マックイーンといえば、「大脱走」(63年)のバイクで疾走する場面を思い浮かべるが、同じ脱走でも本作は大違い。悲壮感が漂っているのだ。独房でボロボロになってドガの名を明かそうとしたり、記憶をなくしたと告白する場面は単なるアクション俳優の域を超えた名演技と評価していいだろう。そういう意味で年齢を重ねたパピヨンとドガが孤島で再会し、同じ時を過ごす演技は両者ともに真に迫っている。物語の冒頭と終盤の人物像を対比しながら見るのも面白い。

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