「ゴッドファーザー PARTⅡ」 戦国時代と被るマフィア抗争

戦国時代と被るマフィア抗争

ゴッドファーザー PARTⅡ(1974年 フランシス・フォード・コッポラ監督)

「ゴッドファーザー」(1972年)の続編でロバート・デ・ニーロの出世作。「PARTⅡ」という言葉は本作から広まった。続編も高評価を受けた映画はこれが初めてといっていい。
前作で父ビトー・コルレオーネ(マーロン・ブランド)の跡目を継いだマイケル(アル・パチーノ)がモー・グリーンら実力者たちを抹殺したため、そのつけが回ってくるのが物語の主軸。キューバ革命や上院委員会での追及などに若きビトーの成功物語と復讐劇がかぶさる。全編が見せ場の連続だ。
マイケルが寝室で銃撃されるのがストーリーの発端だ。勘のいいマイケルは大親分のハイマン・ロス(リー・ストラスバーグ)が黒幕と気づきながら、ロスにトラブルの解決を相談。窮鳥が猟師の懐に飛び込んだのはいいが、襲撃を手引きしたのが兄のフレドだと気づいてがくぜんとするのだ。
マイケルの窮状を「満つれば欠ける」と単純化する見方もあるが、実兄と老臣を軽んじたことで人間関係がこじれ、老獪なロスにつけこまれたと考えたほうが分かりやすい。そういう意味で失敗学の参考書でもある。
日本のヤクザ抗争は「戦国時代」にたとえられる。戦国武将もヤクザもマフィアも行動原理は同じ。暴力と調略、裏切りが運命を決定する。マイケルとダブるのが織田信長だ。父信秀の地盤を受け継ぎ、強引な勢力拡大に走る中、1570年の朝倉攻めで義弟の浅井長政に裏切られて逃走(金ケ崎の戦い)。3年後、長政を殺害した。本作のマイケルも兄フレドを処断する。枯れ葉が舞う庭のベンチで、彼はどこで方向を間違ったのかを考えたはずだ。マイケルの横顔がフェードアウトするラストが深い余韻を残す。
見どころは若きビトー(ロバート・デ・ニーロ)がならず者のファヌッチを殺し、シチリアで両親の仇を討つ場面だろう。ビトーは2人の大物を片付けて頭角を現したが、マイケルが余命いくばくのロスを殺した動機は無益な意地にすぎない。父と子の行動が似て非なるものとは皮肉な話だ。
信長は本能寺で横死した。マイケルが「高ころびに、あおのけ」になるかはいずれ「PARTⅢ」の紹介で。

ネタバレ注意

今さら説明の必要もないことだが、この「ゴッドファーザー PARTⅡ」は若きビトーが母親を殺され、シチリアを脱出してニューヨークに到着、貧しい暮らしの中から顔役として頭角を現すくだりと、現在の息子マイケルの苦悩と葛藤の日々がオーバーラップしながら物語が進行する。過去と現在がクロスする点で「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(84年)と同じ構成だ。
過去と現在は明らかな対比で構成されている。前作「ゴッドファーザー」ではコミカルな場面はなかったが、PARTⅡでは若きビトーが貧しい女性のために強欲な大家に頼み事をし、大家がビトーの正体を知って謝罪にくる場面が笑える。まるで「水戸黄門」のように素性を隠し、後日、素性を知った相手をびびらせたわけだ。大家がビトーの事務所から出ようとし、鍵が開かないため焦る演出はビトーの人望のあつさを表現する上で重要な仕掛けだ。
一方、息子マイケルはドンを継ぎながら、父が築いた信頼関係を失ってしまう。ここに父の栄光と息子の挫折という鮮やかな対比が盛り込まれている。富を得て、政治家とのコネも作ったが、しょせんは流血ドンパチのヤクザ稼業。人様に誇れる商売ではない。だから息子マイケルは妻の愛情も失う。おまけに公聴会で追及される。さらには兄の造反を知ってこれを殺害。挙句の果てに病気で余命いくばくのハイマン・ロスに刺客に放って殺す。FBIに保護されたフランクが翻意して自分に有利な証言をしたというのに、自殺を勧める。ここまでやる必要があるのか。兄フレドへの断罪を含めたラストの3人の死は、自分のプライドを守るために見境なく見せしめに走るマイケルの暴走と解釈してもいい。何度も言うが本作は父と子、明と暗の対比の物語だ。

蛇足ながら

十数年前のこと。かつて建設関係の会社の社長をしていた人物と知り合い、食事をした。彼はバブル経済のとき、会社の業績が好調でラジオでCMも流していたが、バブルがはじけると負債を抱え、明日会社が倒産するという事態に至った。
「もはや死ぬしかないと思いました。そのとき脳裏に『ゴッドファーザー PARTⅡ』の浴槽の自殺場面が浮かんだんです」
と話してくれた。フランクの死の場面だ。
そこで元社長は自宅の浴槽に湯を張り、中に身を沈め、まず左手の手首をナイフで切ったという。
「だけどなかなか死ねないんです。そこで仕方なく、今度は右手の手首も切った。浴槽の中は血まみれです。しばらくしたら気が遠くなった。これで死ねると思いました。ところが自分のくしゃみで目が覚めた。気づいたら体が寒い。身震いがするし、またもくしゃみが出る。そのとき思ったのです。『いかん、いかん。このままだと俺、風邪をひいてしまう』と。そこで浴室を出て裸のまま廊下を這って寝室に辿り着きました」
彼が自分で119番したのか、家族が見つけたのかは忘れたが、救急車の到着によって一命を取り留めたのは間違いない。人間はなかなか死ねないものだ。あるノンフィクション本に、手首を切って自殺する場合、手首そのものを切断するくらい深く切らないと人間は死ねないと書かれていたのを思い出す。

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