カサブランカ

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男と女の悲恋に秘められた米国の戦意高揚の意図を見抜け

カサブランカ(1942年 マイケル・カーティス監督)

原題は「Casablanca」。フランス領モロッコの町カサブランカを舞台にした物語だが、スペイン語でcasaは「家」、blancaは「白」の意味で直訳は「白い家」。英訳すると「ホワイトハウス」を表している。政治性のこもったタイトルというわけだ。本作の製作が始まったのは1942年。米国は前年の12月8日に日本海軍の真珠湾攻撃を受け、それまでのモンロー主義はどこへやら、一気に戦争の気運が高まった。そうした状況下で作られたこの「カサブランカ」はよくよく分析すれば、米国の戦意高揚映画の一面がある。ハンフリー・ボガートが繰り返し口にする「君の瞳に乾杯」の原語は” Here’s looking at you, kid.“。映画翻訳の高瀬鎮夫が「君の瞳に乾杯」と意訳した。ちなみに日本公開は戦後の46年6月だった。
1941年12月のカサブランカ。ここにはナチスの迫害と戦火から逃れ、米国に亡命しようとする人々が集まっていた。ユダヤ人やフランス人、ロシア人、米国人、そして東洋人などがひしめく人種のるつぼ。この町でリック(ハンフリー・ボガート)という米国人が一軒のカフェを経営し繁盛している。フランス領ながらカサブランカにはドイツ軍のシュトラッサー少佐(コンラート・ファイト)が我が物顔で乗り込み、フランスのヴィシー傀儡政権下にある警察署長のルノー(クロード・レインズ)は少佐に媚びへつらっている。こうした周囲の動きにリックは「店に政治を持ち込むな」と釘を刺しているが、実はスペイン内戦などでレジスタンスに協力し、戦に敗れた経験がある。そのためか一種のニヒリストを装っている。とはいえ亡命資金に困った若い夫婦にカフェの裏側で開帳しているカジノでわざと勝たせてやるなど人情家の面もある。
そのリックの前にチェコのレジスタンス指導者ラズロ(ポール・ヘンリード)とその妻イルザ(イングリッド・バーグマン)が現れる。リックの胸は乱れる。なぜなら彼は陥落直前のパリでイルザと愛し合った仲なのだ。リックは一緒にパリを脱出しようと誘い雨に濡れながら駅で待ったが、イルザは現れず、未練を残しながら列車に乗った苦い思い出があった。
実はリックは警察に逮捕された闇屋のウーガーテ(ピーター・ローレ)から亡命の通行証を預かっていた。再会したイルザは夫を米国に逃がすためにリックに通行証を譲ってほしいと頼むが、リックは自分を裏切ったイルザを許せず、これを拒否。まもなくラズロはドイツに反抗したという理由で逮捕されてしまう。
ここでリックは一計を案じる。ラズロを一旦釈放し、自分から通行証を受け取る現場に警察を踏み込ませて逮捕してはどうかとルノーに持ちかけたのだ。ルノーはその計画に乗り、ラズロはイルザを伴ってカフェに現れるのだった……。
いつも思うのだが、ハンフリー・ボガートはそれほどのハンサムではない。筆者の小学時代の友人の父親によく似ている。その父は九州の片田舎の農業経営者だった。
友人の父は長身だったが、ボガートは背が低かった。本作の撮影ではバーグマンと並んで立つときは雪舟という台の上に立って、背の違いを演出していたほどだ。顔もスタイルもそれほど良くないが、この映画の成功もあってボガートは映画史に残るスターになった。79年に沢田研二は「カサブランカ・ダンディ」で「ボギー ボギー あんたの時代は良かった 男がピカピカの気障でいられた」と歌った。たしかに本作のリックは見た目は良くないが、ちょっとキザなイイ男だ。
それはおそらく「俺は政治とは関係ないよ」というクールなマスクのせいだろう。しかし、その仮面の下には熱い血が流れているというのが本作のストーリーの魅力だ。人々に慕われ、対立する立場であるルノーにも一目置かれ、黒人のピアニストを大切にし、他人に善意を施すがそのことで称賛されるのを嫌がる。そして自分を裏切った女のために命を懸ける――。このあたりが沢田研二の歌う「ピカピカの気障」のゆえんだろうか。
だが、そのキザな男も当初は恋人に裏切られたショックから逃れられず、心がギリギリと疼き、テーブルに顔を伏せて痛みに耐えようとする。ハードボイルドな男の本性は実は打たれ弱い男でもあったのだ。
見どころはラストだが、筆者はラズロがフランス国家を歌う場面に感動を覚える。ドイツ兵が居丈高にドイツ歌を合唱する中、ラズロはバンドの前に立って「フランス国家を」と呼びかける。リックがOKの目配せをし、演奏が始まる。警察署員や夫婦の客が立ち上がって合唱。ギターを抱いた酒場女が美声を披露し、若い女性は涙を浮かべて「フランス万歳」を叫ぶ。何度見ても胸が震える名場面だ。このシーンでドイツ軍の合唱をルノーが横目で見ている。苦々しげな表情はラストの彼の行動への伏線だ。

ネタバレ注意

イルザとリックの関係に裏切りが生じたのは夫のラズロがレジスタンス指導者で、収容所を何度も脱走したからだった。イルザは彼が死んだものだと思い、パリでリックと恋愛した。だがラズロが生きていると知った以上、リックとの関係を続けることはできないと判断し、待ち合わせの駅に現れなかった。その数時間前、「マルセーユで結婚しよう」と言うリックにイルザが背中を向けたのは罪悪感にひたりながら、心の中で迷っていたからだ。
2人はあのまま離れ離れでいればよかったのに、どうした運命のいたずらか、カサブランカで再会してしまった。リックの心はイルザへの愛情と憎しみが絡み合っている。だがそれでも最後にわが身を捨てる覚悟でルノー署長をダマし、イルザと夫を亡命の飛行機に乗せる。そのためにシュトラッサー少佐を殺害するのだ。
考えてみると、イルザにとってリックは死んだはずの夫が蘇るまでのワンポイントリリーフみたいなものだった。2人の男の間にあって、イルザもまた心が千々に乱れたはずだ。
リックはイルザを憎みながら、彼女への愛情は冷めやらない。しかもラズロはドイツと戦っている英雄だ。ここに1942年当時の戦意高揚の意図が見えてくる。米国は対日参戦の気運が盛り上がり、同時にヨーロッパでの戦争にも前向きになった。自分を捨てた女へのわだかまりなんか忘れ、ラズロを助けて正義を貫けというメッセージがビシビシ伝わってくる。
クールを装っていたリックがレジスタンス指導者を逃がして熱い男に変貌する姿は、ヨーロッパの惨劇から目をそむけていた米国が一転、参戦に大きくかじを切り、正義の戦争にやる気満々で臨んだ現実を表している。公開当時に本作を見た米国の観客はさぞかし胸を震わせたことだろう。
つまりリックは「政治を持ち込むな」と言うものの、マイケル・カーティス監督ら製作側は第二次世界大戦に向けて国民を鼓舞するための政治性を偲ばせているわけだ。リックというキャラクターは国際社会における米国の立ち位置であり、本作はそうした政治性を男と女の悲恋に包んで提示した。だからカサブランカはホワイトハウスなのである。結末でルノー署長はシュトラッサーを射殺したリックを見逃し、「これで君も愛国者だ」と言って一緒にレジスタンスの支部に向かう意向を示す。リックは「美しい友情の始まりだな」と返す。ここにはフランスも米国とともにナチスドイツと戦うのだという政治的メッセージがこめられている。
イングリッド・バーグマンは撮影中、カーティス監督に「イルザはリックとラズロのどちらを愛しているの?」と聞き、監督はきちんと回答できなかったという。おそらくイルザはラズロを人間とて敬愛し、その一方でリックを男として愛したのだろう。彼女にとってはどちらも失いたくない大切な存在なのだ。
ヨーロッパ映画には夫との暮らしを大切にしながら、愛人の人格を尊重する女性がたびたび登場する。どちらも同じように愛しているという考えはヨーロッパにかぎらず、男と女が陥るスパイラル。だから人は悩む。悩むから文学が生まれる。だから「不倫は文化」と語った石田純一はインテリなのである。

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