「レイルウェイ 運命の旅路」

Uncategorized

英国人への拷問によって旧日本軍を冒涜した”反日”映画なのか?

「レイルウェイ 運命の旅路」 (2013年 ジョナサン・テプリツキー監督)

第2次大戦中、日本軍の捕虜になった英国人の苦悩を描く。主人公のエリック・ローマクスの実体験を映画化した。
戦争終結から35年後の1980年、退役軍人のローマクス(コリン・ファース)は看護師のパティ(ニコール・キッドマン)と列車の中で出会い、結婚する。かつての戦友たちに祝福されて新婚生活を始めるが、実は彼には”持病”があった。若いころの恐怖体験のせいで絶叫し、ときに乱暴なふるまいをしてしまうのだ。パティがそばに寄って声をかけても発作は続き、回復してもその理由を語らない。パティはローマクスの戦友だったフィンレイ(ステラン・スカルスガルド)に戦場で何があったかを聞く。すると彼はやっと重い口を開いた。
大戦中の42年、シンガポールでパーシバル将軍が日本軍に降伏したため、ローマクスたちは捕虜になり、クワイ河に輸送されてタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道の建設を手伝わされた。日本兵は「さっさと働け」と彼らを大声で怒鳴り、平気で殴る。
絶望的な日々の中、ローマクスは作業をしながら部品を集めてラジオを作製。ドイツがスターリングラード攻防戦でソ連に敗れたニュースなどに希望を見いだす。
ところが日本の憲兵にラジオを発見された。彼は仲間を守るため、誰が作ったのかと問い詰める憲兵に自分だと名乗り出る。木の棒でさんざん殴られるが、それだけでは終わらない。スパイ容疑でさらに過酷な尋問を受ける。戦争は終わったが、ローマクスはあのとき自分を痛めつけた通訳の憲兵隊員の姿と凄惨な拷問を忘れられないのだ。
そんなおり彼はフィンレイから、自分を痛めつけた憲兵が永瀬という名で、あの建設現場にいると知らされ、「復讐しろ」と助言されるのだった……。
妻を得た幸せな暮らしに突然差しはさまれる恐怖の映像。自宅の窓から見える英国の美しい海の風景が一転して拷問部屋の入口になり、夢の中で憲兵隊に連行される。「戦争は終わった」と叫ぶローマクスを、男たちは「お前はまだ終わっていない」と密室に引きずり込む。
ローマクスは戦友にも自分がどんな拷問を受けたかを語らず、トラウマと闘ってきた。看護師歴20年のパティにも彼の苦しみの本質は分からない。拷問部屋はジョージ・オーウェルの小説を映画化した「1984」(84年)の「101号室」のように不気味だ。ローマクスが建設現場を再訪して初老に達した永瀬(真田広之)と向き合い、復讐心と理性の間で逡巡するのが物語のミソである。
興味深いのが「反日」だ。泰緬鉄道と英国人捕虜といえば、大作「戦場にかける橋」(57年)がある。場所は違うがジャワ島を舞台にした「戦場のメリークリスマス」(83年)も英国人が捕虜だった。前者では英国人の大佐が痛めつけられて炎天下の独房に監禁され、後者は少佐が見せしめとして殺害されるが、公開時に「反日」の声は起きなかった。
だがこの「レイルウェイ」は違った。2013年はすでに世の中にネット右翼がウヨウヨいた。公開からしばらくの間はグーグルで本作のタイトルを検索すると「反日」の文字が表示されていた。映画サイトなどでにはユーザーが〈GHQが日本人を洗脳した自虐史観だ〉〈何十年も経ったのにまだ恨んでるの?〉〈上映を中止しろ〉と書き込んでいた。今でも〈ストーリーは実話を元にした反日映画〉〈『反日』ってもはや日本で流行中の伝染病だね。やばいわ〉〈もしこれを韓国の”ヒステリック”な大統領が観たら、間違いなく国民をますます「反日」に煽動するだろうし、ありもしない従軍慰安婦を題材に映画化を促進するかもしれない(笑)〉といった書き込みが散見される。本作は人間の「寛容」を描いた作品だが、ネトウヨの憂さ晴らしは容赦がない。
もしこの映画を見た人と出会ったら、ぜひ感想を聞いてみたい。普段は理性的な人が「あれは反日映画だ。見るに堪えん」とツバを吐くかもしれない。そういう意味でネトウヨ度が測れる作品と言えるだろう。

蛇足ながら インテリ青年が残虐行為

本作を見て、あれっと思ったことがある。青年時代の永瀬は流暢な英語で捕虜を訊問し、拷問に加担する。時代は戦前である。進学率は低く、大卒のインテリは今よりずっと少なかった。知識層が少ないから戦争にはやる軍部を止められなかったと指摘する研究者もいるくらいだ。
当然、英語を話せる日本人はきわめて稀だったろう。そんな時代に陸軍軍人の永瀬は英語が堪能だ。ということは彼は数少ないインテリ層の一人ということになる。そのインテリが国際法を無視して捕虜に拷問を下した。当時の日本人の文化度が低かったことを物語っている。
そういえば「戦場のメリークリスマス」では小学校卒のハラ軍曹が捕虜を鞭で殴り、将校のヨノイは捕虜をサーベルで斬殺しようとする。「生きて虜囚の辱を受けず」という人命無視の哲学が五臓六腑に染み込んだ日本人にとって敵国の兵士の命は虫けら以下だったのだろう。だから「バターン死の行進」(42年4月)が起きた。だから731部隊が存在した。だから「九州大学生体解剖事件」(45年5月)が起きた――。
最近の日本人は昔に比べると性格が穏やかだが、もし第3次世界大戦が勃発したら、本来の残酷民族に逆戻りするかもしれない。

ネタバレ注意 誰が小林多喜二を殺したのか?

物語は終盤でフィンレイが鉄道で首つり自殺をし、ローマクスは彼の死に促される恰好でクワイ河を訪れる。その際にやっと拷問部屋で受けた責め苦が描かれる。顔にボロ雑巾を当てられ、口にホースを突っ込まれて強制的水を飲まされる水拷問。ローマクスが死にそうになるといったん中止し、「もう一度やれ」の掛け声のもと地獄の責め苦がひたすら繰り返される。見ているこちらは、生きている限りこの苦しみを受け続けなければならないのかと鳥肌が立つ思いだ。
拷問は世界中で今も行われていることだが、かつての日本人はこうした行為が好きだった。作家の小林多喜二は1933年2月に治安維持法違反容疑で東京・築地署に連行され、手の指を折られ、睾丸を蹴りつぶされて殺された。特高警察の拷問を受けたのだ。その身の毛もよだつ虐殺行為は今井正監督の映画「小林多喜二」(74年、山本圭主演)が再現している。
山本薩夫監督の「戦争と人間 第二部」(71年)にも特高が社会活動家を拷問する場面があり、刑事は「小林多喜二がどんな殺され方をしたか知っているだろ」と脅す。「スパイの妻」の項で憲兵隊の拷問について書いたとおり、国家権力は残忍のやり放題だった。
本作のローマクスは長年、永瀬に対して復讐の憎悪を抱いていたが、最後に彼を許す。永瀬も罪の意識を抱えたまま生きながらえ、ローマクスが自分を訪ねてくるだろうと覚悟して待っていた。
一方、多喜二を殺した犯人は戦後も生き残り、社会的な地位を得た。日本共産党のHPには彼らについて書かれた項目がある。少し長いが以下に引用する。
〈多喜二虐殺時の主犯格は警視庁特高部長・安倍源基、その配下で、虐殺に直接手を下したのが毛利基特高課長、中川成夫、山県為三両警部らです。
安倍が警視庁特高部長や内務省警保局長だったときは、特高がもっとも残忍性をあらわにした時期で、33年には戦前でも最多の19人が拷問で虐殺されました。安倍は戦後、A級戦犯容疑で拘置されますが、占領政策の転換で釈放され、その後、右翼の結集体である新日本協議会を結成、児玉誉士夫らとともにCIA協力メンバーと目されるなど戦後政治の”陰”の存在として生きのびました。
毛利は、32年警視庁特高課が部に昇格、安倍が部長になるとその下で特高課長となり、”共産党壊滅に功あり”として勲五等旭日章をもらい、異例の出世をとげます。終戦直後に埼玉県警察部長を退職しますが、東久邇内閣から「功績顕著」として特別表彰さえうけています。
中川成夫は、高輪警察署長、築地署長と出世し、東京滝野川区長をつとめ、戦後46年に区長をやめた後、東映取締役興行部長となり『警視庁物語』シリーズなどを全国上映。一方、北区で妻に幼稚園を経営させ、これを背景に64年には東京北区教育委員長になりました。
岩田義道の虐殺に直接手を下したといわれている山県は43年に東京府会議員となり、戦後は丸の内署長時代に知りあったビフテキ店「スエヒロ」社長から店名を借り「スエヒロ」を開業、74歳で死亡するまでその経営にあたっていました。〉
CIA協力メンバー、特別表彰、教育委員長、スエヒロ――。何の罪もない作家をなぶり殺しにした4人は戦後、恵まれた後半生を送ったわけだ。なんという不条理。その不条理は森友疑惑で財務省職員が自死したというのにその真相解明すらままならない現代でも続いている。
と、こんなことを主張したとろで、ネット右翼の面々は「小林多喜二? あいつは国に逆らったんだから拷問されるのは当たり前だろ。何か?」と歯牙にもかけないだろうが。

コメント

タイトルとURLをコピーしました