「セルピコ」 腐敗警官に1人で立ち向かう

腐敗警官に1人で立ち向かう

セルピコ (1973年 シドニー・ルメット監督)

「十二人の怒れる男」「未知への飛行」などの社会派監督、シドニー・ルメットがメガホンを取った問題作。
ニューヨーク市警の刑事セルピコ(アル・パチーノ)が捜査中に顔を銃撃され、病院に担ぎ込まれた。実はセルピコは市警の腐敗ぶりを告発し、同僚刑事たちに恨まれていた。
彼は警察学校を卒業して警官になるが、警察では暴力的な取り調べやヤクザからの賄賂の徴収が横行。それも殴る蹴るしてカネをもぎ取る。セルピコはそうした悪に染まらず、賄賂の分け前を頑として受け取らない。そのため周囲の悪徳警官から目障りな存在となり、孤立していく。
彼は警視に現状を告発するが、警視は「忘れろ」と言い放つ。次にNY市への告発に動くも、市長は暴動が起きたときに備えて警察と揉め事を起こしたくないという理由で受け付けない。
そうした中、セルピコはある分署に配転。危険な捜査の最前線に立ち、同僚たちに見放され、銃弾を浴びるのだった……。
邦画にも警察の悪事を描いた作品はある。近年では「ポチの告白」(2005年)、「日本で一番悪い奴ら」(16年)などで、警官が悪に手を染めるストーリーだ。
一方、本作は良心的な男が1人で巨悪に立ち向かう。現金を受け取らない警官が「変人」扱いされるほど市警は腐敗。清廉潔白を貫く彼は悪徳警官どもにとっては、いつ自分たちの悪事を暴露するか分からない危険な存在だ。だから命まで狙われることになった。
セルピコは苛立ちが募り、理解ある恋人にあたり散らして恋は破局。孤立無援の彼の姿に観客は自己を投影し、怒りと恐怖を感じながら物語に引き込まれてしまう。
それにしても1960年代に警官が毎年、ウン十万ドルもの賄賂を取り立てていたとはさすがは米国。スケールがでかい。日本の警官はそこまではやらない。沖縄のヘリパッド反対運動の人々に「土人」「シナ人」と毒づく程度。せいぜいが共産党幹部の自宅を盗聴したり、民進党議員の関係先を盗撮するくらいのものだ。ご立派!

おすすめの記事