追想

娘を撃たれ、妻を焼き殺された男の復讐劇

追想(1975年、ロベール・アンリコ監督)

1976年、日本でロミー・シュナイダーのブームが起きた。72年作の「夕なぎ」も公開され、日本人はカトリーヌ・ドヌーブと一味違う色香に魅了されたものだ。筆者の友人などは高校生のくせに「ロミー・シュナイダーは色っぽい。結婚したい」と色めき立った。当時、ロミー・シュナイダーは38歳だった。そのロミー・シュナイダーは82年5月、43歳の若さで急死。死因は心不全で、睡眠薬とワインを飲んだ痕跡もあった。

本作は凄惨な物語だ。公開時のパンフには書かれていないが、44年6月に起きた「オラドゥールの虐殺」をモチーフとしている。

ドイツ軍に占領されたフランスの町で外科医のジュリアン(フィリップ・ノワレ)は妻クララ(シュナイダー)、娘フロランス(ジャン・ブイーズ)と暮らしている。レジスタンスを支援する彼は妻子をドイツ軍から守るためにバルベリー村にある自分が所有する古城に疎開させる。

数日後、ジュリアンは村を訪ねて驚愕する。教会で多数の村人が死亡しているのだ。あわてて城に行くと、そこには娘が倒れ、そばに黒焦げ死体が! ジュリアンは一瞬にして察知する。クララはドイツ兵たちにに強姦されフロランスとともに逃げようとしたが、フロランスは撃ち殺され、自身は火炎放射器で焼き殺された――。古城の構造を熟知したジュリアンは古い散弾銃を手にして復讐にかかるのだった。

ジュリアンは妻子を思って疎開させなら、皮肉にも2人を殺されてしまった。スクリーンから彼の後悔と無念が痛いほど伝わってくる。復讐劇はより残虐に殺されたほうが観客の感情移入を誘うという。焼殺ほどむごい殺し方はない。

思い出すのが「わらの犬」(71年)と「ポセイドン・アドベンチャー」(72年)だ。ジュリアンはぬぼーっとした雰囲気の外科医、「わらの犬」の主人公はひ弱な数学者。2人とも理知的だが家族のために豹変した。

キリスト教は「復讐するは我にあり」と報復を禁じているが、医師のジュリアンを殺害に駆り立てたのは神への失望でもある。神が見守る教会で大勢が惨殺された。何のための神なのかとばかり、彼は怒声をあげてキリスト像を引き倒す。「ポセイドン――」の主人公は牧師でありながら、神を呪いつつ死ぬ。凶変に見舞われて神を否定したくなる心境を誰が責められるだろうか。いや、そもそもこの世に神は存在するのか――。

タイトルが「追想」なのはジュリアンが敵を討ちながら妻子との明るい日々を思い浮かべるからだ。印象的なのがドイツ兵どもがジュリアンとクララを撮影したフイルムを映写しつつ気勢を上げる場面。彼らが酒を飲んで楽しむ姿をガラス越しに見たジュリアンの脳裏には幸福だった思い出か浮かび上がる。虐殺と幸福の日々の対比。それは古今東西の戦争の中で繰り返されてきた。

医師として、キリスト教徒としての理性を眠らせて復讐に燃える男が一丁の銃だけでゲリラ戦を展開し、敵を一人また一人と滅ぼす姿はやはり痛快だ。水責めで殺されるドイツ兵がゴキブリのように見える。いや、彼らはゴキブリ以下だ。

蛇足ながら

オラドゥールの虐殺は1944年6月にナチス親衛隊が、この村にレジスタンスの拠点があるとの密告を信じて村の人々を虐殺した事件。親衛隊はまず村の男性を納屋に閉じ込めて放火し、197人を虐殺。さらに女性と子供を教会に入れて放火。人々は悲鳴を上げて窓から逃げようとしたが、親衛隊は非情にも機関銃で撃ち殺した。ここでは女性240人、子供205人が殺されたとされる。さらに村は徹底的に破壊され、一日でゴーストタウンとなった。

戦後、ドゴール大統領はナチスの残忍さを忘れないためにこの村をゴーストタウンのまま保存することを決定。99年、シラク大統領はこの地にメモリアルセンターを創設した。

ニキータ・ミハルコフ監督の「戦火のナージャ」(2010年)に同じようなナチスによる虐殺場面がある。

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